概要
小学五年生の村山和樹は夏休みにおじさんの朝一のいる田舎の漁村に二週間泊まることになりました。先生からは「子供にできる環境にとって一番大切は事は何か探してくること」という宿題が出されます。釣りに海水浴に昆虫採集、都会っ子和樹の大冒険の始まりです。はたして夏休みの間に宿題の答えは見つかるのでしょうか?
この作品は九割くらい事実に基づいています。
それはある年の八月一日、夏休みまっただなかのことでした。小学五年生の村山和樹は一年ぶりにおじの朝一(あさいち)の住んでいる星鹿町(ほしかちょう)という何もない漁村にやってきたのです。ただし、何もないというのは大人の目で見たらということで、子供達にとっては・・・子供達にとってどんな所かはこのお話を読んでいると、だんだんわかってくるでしょう。とりあえず今はまだないしょです。和樹はこの夏、この田舎で思い切り大自然を体験しようと思っているのです。ただし、この旅行にはひとつの課題がありました。「地球環境のために子供が出来る、一番大切なこととは何かを大自然の中で見つけてきなさい。」というのが、担任の坂本先生からの夏休みの課題なのです。それは、今の和樹には、まったく見当のつかないことでした。
和樹の伯父の朝一は六十才で会社をやめ田舎に帰り、退職金でのんびりくらしています。朝一おじさんは少し不思議な人で、どう不思議かと言えば子供に対して友達のように対等の態度で接してくれるのです。そしてジョークを言うことが好きなおもしろい人でした。だから和樹は朝一おじさんのことを友達だと思っているのです。
村の入口に近づくと、白い板壁の小さな郵便局の前の空き地で村の子供達がドッヂボールをしているのが見えてきました。空はスポーツ日和で晴れ渡っています。子供たちは頭が焦げそうに暑い日差しだというのに、涼しげな顔をして遊んでいます。和樹は思いました。
(一年前仲良く遊んだけど、僕のことおぼえているのかな・・・)
ひとりの少年がいち早く和樹がいるのに気づいたようです。その少年は洋君でした。去年一緒に遊んだのです。洋君は額の汗をぬぐいながら大声で言いました。
「あっ、村山君だ。村山君、こっちのチームね。」
「あっ、ずるい。村山君はうまいから、こっちもほしい。」
そうひとりの女の子がさけびました。その子は美都子ちゃんといいました。そういえば去年、その子とも一緒に遊びました。洋君が言いました。
「先に言ったもの勝ちなんだよ。ねえ村山君。」
和樹は困って言いました。
「じゃんけんで決めて。」
和樹はとても驚きました。自分のことなんか忘れているかもしれないと思っていたのに、まだ仲間のままなのです。和樹は田舎の子供って心が広いなあと、あらためて思いました。都会ではすぐそばに住んでいても、クラスが変わると口もきかなくなったりすることすらあるのです。きのうまで友達だった、なんて思ったりするのです。
洋君と美都子ちゃんはじゃんけんをしました。美都子ちゃんがパーで、洋君がグーで、奈津子ちゃんの勝ちでした。美都子ちゃんはすらりとした、とてもかわいい女の子なので和樹はうれしく思いました。けれども和樹がデレデレしていたせいでしょうか、敵の洋君から当てられて和樹はすぐに外野行きでした。美都子ちゃんが言いました。
「ああっ、超強力助っ人外人がやられたあ。」
それを聞いて洋君が言いました。
「見たか、じゃんけんのうらみ。正義は必ず、勝つ。」
和樹は自分がたるんでいたことをすごく反省して、美都子ちゃんに言いました。
「すぐに内野に戻って、名誉挽回する。」
「メーヨバンカイって何?」
「さっきの栄光を取り戻すってこと。」
「絶対よ。」
そう言ってすぐに和樹は敵の一人に見事当てました。それは、一番仲の良い康雄君でした。康雄君は言いました。
「ひどいよお、和樹君、友達でしょう?」
「スポーツの世界にお情けは禁物だよ。」
と和樹が答えて、康雄君が言いました。
「冷たいなあ、もお。」
内野に戻った和樹のそれからの活躍はなかなかすごかったのです。一人当て、二人当て、三人当て・・・敵は全滅して和樹と美都子ちゃんのチームの勝利でした。美都子ちゃんが和樹に言いました。
「やっぱり、さすがね。」
康雄君が言いました。
「大活躍だったねえ。」
洋君も
「うんうん、敵ながらアッパレ。」
と時代劇言葉で言い、和樹は
(やっぱり、星鹿の子たちはやさしいなあ。)
と、うれしく思いました。
ドッヂボールが終わり、朝一おじさんの家へ向かおうとしていると、いきなりバレーボールが飛んできて和樹に当たりました。和樹はひっくりかえって、ボールが飛んできた方を見ました。きりっとした顔の半袖半ズボンで裸足にスニーカーをはいた奴が和樹をにらんでいました。
「おまえ、福岡から来た奴だろ。」
「いたいなあ、何するんだよ。君は誰?」
「美都子とデレデレしていた奴にオレの名前なんか教えない。」
「あっ、見てたのかい?」
「じゃあな。」
そう、言い捨てて、そいつは走り去ってしまいました。和樹はなんだか狐に化かされた気がしました。どこかでせみがじいじいとないていました。
ドッヂボールを始めてから三時間ほどして、朝一おじさんの家をやっと訪ねました。白い犬をつないである古い板きれが散乱した小さい空き地のむこうにある、濃い灰色の屋根に焦げ茶色の板壁の古い平屋が朝一おじさんの家です。白い犬の前を通ると犬は黙って和樹を見つめました。その犬は体が和樹くらい大きくて堂々と胸を張った、姿勢のいい、りりしくてやさしそうな顔をした白い犬でした。和樹はおとなしい犬だと感心しました。そして思いました。
(僕ってこういう犬、大好きなんだよね。)
朝一おじさんは
「あんまり遅いから、おじちゃん心配したんだよ。そしたらおじちゃんのことを忘れて、村の子達と遊んでるんだもの。」
と言いました。
和樹は
「ごめん、おじちゃんのこと、忘れて遊んじゃった。」
と言いました。
朝一おじさんは
「素直にあやまったから許す。」
と言ってくれたので、和樹はほっとしました。
「これから二週間、宿題なんか忘れて思い切り遊べるといいねえ。」
と言う朝一おじさんに、和樹は
「それがね、夏休みの課題で、『地球環境のために子供が出来る、一番大切なことを、大自然の中でみつけてきなさい。』って坂本先生に言われてるんだよ。おじちゃんはどう思う?」
とたずねました。朝一おじさんは
「ふうん、それはまた、漠然として、大きな問題で、なんとも難しいね。とても一言二言じゃあ言えることじゃないねえ。」
と考え込んでしまいました。
その日は夕飯をごちそうになってから、お風呂に入りました。お風呂場は予想と違ってせまくもなく、お釜のお風呂でもありませんでした。ちっちゃいタイルが張りめぐらされていました。ただ、気になったのは排水口が直径八センチくらいあって、かがむと外のけしきが見えるのです。そこはあの白い犬のいる板きれだらけの空き地です。体を洗っていると排水口からのぞいている奴がいるのに気がつきました。
「うわっ、カニカニ。」
それは三センチくらいの真っ赤なイワガニでした。和樹があわててお湯をぶっかけるとカニは逃げていきました。和樹は思いました。
(お風呂場にカニが入ってくるなんて、ここは環境問題って関係ない所って感じがするなあ。)
お風呂からあがると和樹はカニのことを朝一おじさんに話しました。するとおじさんは
「あのイワガニもね、川に流されているあちこちの家からの洗剤なんかが混じった水のせいでずいぶん減ったんだよ。生活排水って言ってね。」
と教えてくれました。和樹が
「ふうん、こんな海のきれいな所でもそんな生活排水なんて別の問題があるんだね。」
と答えると、おじさんはさらに
「最近はね生活排水なんかは田舎の方が問題が大きいんだよ。都会の人たちみたいに環境にやさしい洗剤なんて選ぶだけの生活のゆとりがないからね。」
「そうかあ、でもその洗剤を選ぶなんてことは大事だけど、ちょっと子供にできる環境のことじゃないね。」
「そうだね、まあ、これからゆっくり考えたらいいよ。」
そんなこんなで日も暮れてそのあとは電車疲れもあったので早くから床につきました。真夏だというのに海辺の家は涼しくてとても寝心地が良かったのでした。和樹はこれまで星鹿には旅行の途中で少したちよる事はあったのですが、泊まったりするのは初めてでした。
次の朝は五時半頃、物音で目をさましました。和樹が起き出してとなりの部屋へ行くと、朝一おじさんが、朝食をとっていました。
朝一おじさんは
「まだ、寝てていいんだよ。」
と言いましたが、和樹は
「何でこんなに早くから起きてるの?」
と聞きました、
「おじちゃんはね、今から、アルバイト。」
と言う返事でした。
「何のアルバイト?」
と聞いたら、かわって園おばさんが
「おじちゃんはね、新聞配達をしてるんだよ。」
と答えました。朝一おじさんは照れくさそうに
「体力づくりなんだよ。体力づくり。」
と言いました。
「和樹ちゃんも、一緒に体力づくりしたらどう。」
と園おばさんが言うので、和樹はそれから星鹿にいる間、毎日、新聞配達をすることになりました。和樹たちは村の真ん中を通っている狭い道を走りながら両側の家々に新聞を入れていきました。この村はこの一本の狭い道と道に面している家の並びからなっていました。この道がどのくらい狭いかといえば乗用車が一台通るのがやっとと言った程度でした。途中、
「近道、近道。」
と言って通った墓地で、
「墓場は恐くないかい?」
と聞かれて、和樹は
「うん、ここのは全然恐くないよ。じいちゃんの墓の所のは恐いけど。」
と、後に、朝一おじさんが眠ることになる場所とは、思っても見なかったのでした。その墓地は小高い丘の上にあり、日当たりが良くて海の見える素敵なところでした。
配達には一匹の犬を連れていきました。あの白い犬です。今日の配達で、もうすっかり和樹になれて、先に行っては振り返って和樹の顔を見て、和樹がそこまで行くのを待っていてくれるのです。
「この犬、何て犬?」
と聞くと、
「秋田犬だよ。」
と言う返事です。
「アキタケン?」
「東北の犬。」
「秋田県?」
「・・・じゃなくて、飽きっぽい博多の人言葉。」
「飽きたけん?・・・あっ、またおじちゃんがジョーク言ってる。」
「・・・じゃなくて秋田犬って言う犬の種類。」
「それぐらい知ってるよお。名前を聞いたの。」
「名前はねハチ。」
「あっ忠犬ハチ公のハチなんだ。」
「そう。すごく賢い犬なんだよ。」
「へえー、例えばどんな風に?」
「おじちゃんが配達する家を全部、おぼえてます。」
朝一おじさんは誇らしそうに言いました。その言葉通りハチは次に配達する家の前まで先に行って待っているのです。星鹿で朝一おじさんが配達している所は田舎であるせいもあって意外とせまく、配達はあっという間に終わりました。
朝八時に、となりの家に住んでいる和樹とは一番仲の良い康雄君と、朝一おじさんの甥の浩介君(朝一は和樹の父の姉の夫なのです) が
「釣りに行こう。」
と、誘いに来てくれました。
「待ってるからさ、ズボンの下に海パンはいてきてね。全然、釣れなかったら、泳ぐから。」
と付け加えて玄関の表で待っていてくれたので、和樹はすぐにズボンのしたに海水パンツをはいて、彼らと海へ行きました。この日は天気が良く、青い海が輝いていました。風がないので少し日差しが照りつけていました。
「今日はなんだかすごく釣れそうな気がする。」
と浩介君が歩きながら言いました。いつもあまりしゃべらない康雄君は
「うん、そうだね。」
とあいづちをうちました。和樹は
「釣れるかどうか、前もってわかるの?」
と聞きました。浩介君は胸を張ってこう答えました。
「星鹿の子供は釣りはプロだからね。勘でわかる。」
・・・ですが、その勘は見事にはずれたのです。
朝一おじさんの家の目の前は漁港です。そう言えば朝起きた時に、ぽんぽんぽんぽん、と出漁する漁船のエンジンの音がのどかに聞こえていました。その漁港を外洋から仕切っている防波堤へと三人はむかったのでした。防波堤まで、漁船が一せき残らず漁に出てすっかり眺めの良くなった波止場を三人は歩きました。波止場の海は吸い込まれそうな紺色をしていました。
「いい釣り竿持ってるねえ。」
と浩介君が和樹の釣り竿を見て言ったので、和樹は正直に
「お父さんの借りてきたんだよ。」
と答えました。その釣り竿は金色の固いプラスチック製でリール式ではなくて竿の一番先に釣り糸を結ぶようにできていました。もちろん伸び縮みするやつです。康雄君がぽつりと
「いいねえ。」
と言いました。和樹は、康雄君のお父さんは何年か前に亡くなったことを聞いていたので、なんだか悪いことを言ってしまったような気になりました。
海から突き出た小さな緑茂る山が左側に見える、港を取り囲んだ防波堤の一番先で、三人は釣り糸をたらしました。エサはご飯つぶを釣り針にさしました。和樹が
「エサがご飯つぶだから助かるよ。やっぱりゴカイとかミミズとか、虫に針刺すのやだもん。」
と言うと、浩介君と康雄君はただ黙って笑っていました。浩介君が思いだしたように言いました。
「そう言えば、夏休みの宿題って、和樹君とこは、どんなのでてるの?」
「各教科ドリルが一冊ずつと、特別課題がひとつだよ。」
「特別課題って?」
「地球環境のために、子供が出来ることを、大自然の中でみつけてくること、ていうやつ。」
「へえー、難しそう。ねえ、康雄君。」
「うん、そういうのは大人が気をつけたほうが効果があるに決まってるもんね。工場が海に廃液を流さないこととかね。子供だったらジュース飲んだ後空き缶をほったらかしにしないとかかなあ。和樹君はどう思ってるの?」
「そこなんだよね。分別収集のルールを守るとか、友達で集まって空き缶ひろいをするとか、ね。そんなことはわかるんだけど、でも、それは大自然の中から学んで帰ることじゃないもん。」
「難しいなあ。」
と康雄君が言って、浩介君は
「ホントに夏休み中に答えがみつかるのかな?」
と、ひとりごとのようにつぶやきました。
さて、釣りのほうは、ねばること三時間。灰色に白い点々があって釣り上げたらみるみるふくらんでいく、ちっちゃな魚が三匹釣れただけでした。それはクサフグというフグでした。和樹は浩介君と康雄君の勘はあてにならないことを知りました。
「くそっ、海がないでるからか、全然釣れないよ。」
と浩介君が言いました。「海がないでる」というのは、風もあまりなく海に波がほとんどたっていない状態のことです。正式には「凪(なぎ)」と言います。
和樹は
「あーあ、疲れた。」
と言って釣り竿をしまおうとして、防波堤の上に横に置きました。そして、あーあと全身で伸びをしたとき・・・。
「ちゃっぽん。」
「げ、竿が海に落ちた。あ、あ、あ、沈んでいく・・・。」
三人の間にしばらく気まずい沈黙がながれて、やっと和樹が口を開きました。
「ねえ、あれ潜ってひろえないのかな。」
浩介君が
「・・・ここ相当深いから無理。」
と答えました。康雄君が
「・・・高そうなのにね。」
とつぶやき、
「あー、もう、今日、最低。」
と浩介君が言いました。
和樹が
「なんか、釣りする気なくなった。」
と言うと、浩介君が
「今日は水泳に変更。」
と発表しました。
「さんせい。」
と和樹が言って、
「それしかないね。」
と康雄君が言いました。その釣り竿は沈んだ場所が肉眼で見えないくらい、とても深いところだったので、取りに行くことなんてできず、あきらめるしかありませんでした。三人はすっかりしょげ返ってしまいました。
三人は海岸ぞいの道路まで戻り、道路と海を仕切っている堤防の上を歩きました。村の裏手にあるその道路は家々の裏口がずらりと並んでいました。しばらくして、うつむいていた康雄君が口を開きました。
「ねえ、和樹君。ここから飛び込めると思う?」
堤防から水面まで三メートル位あるでしょうか。
「ちょっと恐いね。康雄君、飛び込めるの。」
「俺達は飛び込めるよ。ねえ、康雄君。」
と浩介君が言って、
「そうだね。」
と康雄君が答えました。
和樹は
「すごいね、ねえ、飛び込んで見せて。」
とせがみました。
「じゃ、海パンになろう」
ということになり、三人は泳げるかっこうになって堤防に上がりました。
「僕は、そこの階段から下りてもいいよね。」
と和樹が言うと二人は黙ってうなずきました。二人は前かがみのしせいで水面を見つめたまま、なんだか固まったままで二、三分たちました。和樹は待ちきれずに
「どうしたの、飛び込まないの?」
と聞きました。
康雄君が
「今、飛び込む。」
と言ったのですが、その顔がなんだかこわばっていて、紺色の水面をじっと見つめています。
和樹はおそるおそる
「もしかして・・・恐いの?」
と小声でたずねました。二人は黙って首を横に振りました。
「よし。」
と浩介君が言ったと思ったら・・・「じゃっぽん」「じゃっぽん」と足から二人続けて飛び込みました。二人は飛び込んだとたん、急に明るい顔になって
「あははは、気持ちいいー。」
「最高。」
と叫びました。
和樹が
「頭から飛び込むのかと思ったあ。」
と叫ぶと、二人は
「頭からは無理だよー。」
「和樹君もやれえ。」
と叫び返しました。和樹は何か急に楽しい気分になったので、平気で飛び込めそうな気がしました。
「よおし。」
・・・和樹は少し気合いをためて、鼻をつまむと、思いきりよくジャンプしました。
「じゃぶんぶくぶくぶく」一瞬でしたが意外と深く潜ってしまったので和樹は驚きました。すぐに浮かび上がると二人が口々に
「びっくりしたあ、本当にやると思わなかったから。」
「やるときはやるねえ。」
とかなんとか言いました。釣り竿で落ち込んだ三人の気持ちは、このダイビングですっかり元通りになりました。
そして浩介君は
「本当はねえ、そこから飛び込んだことなかったんだあ。」
と言い、康雄君も
「そうそうなかった、なかった。」
と言うので三人は大爆笑しました。でも、実はそれは釣り竿のことで、すっかりしょげてしまった和樹の気持ちが元気に戻るように、盛り上げようとしてくれた康雄君の思いやりなのでした。海の水は太陽に照りつけられていた体にはとても冷たく感じました。なんだか、頭の後ろがつーんとしました。
その場所は水泳向きではなかったので三人は海から上がって砂浜へと移動しました。
三人はまったく信号のない、民家もポツリとしか見えない道路を三十分ほど歩くと夏なのに誰もいない不思議な海水浴場へ行きました。そこの海岸は砂が白くて急に深くなっていたりしなくて、とてもきれいで泳ぎいい場所でした。突然、和樹は立ち上がって叫びました。
「うわっ、クラゲ、クラゲ。いきなり目の前にきやがった。」
「ははは、この辺ではユーラって言うんだよ。恐かったの?」
と浩介君が言いました。和樹は答えました。
「ううん、ただね、突然だったからびっくりしただけ。」
そうして三人は一時間くらい泳ぐと誰もいないシャワールームと脱衣場に行きました。そこは水道管以外、全部木でできていて、金属やプラスチックが使われていませんでした。お金を取るようにはなっていないので、和樹には訳がわかりませんでした。和樹は
「海がこんなにきれいで楽しいと環境問題なんて忘れちゃうねえ。」
と言い、浩介君も
「うん、遊んでると、ついね・・・。」
と言ったのですが、康雄君は
「でも、うち寄せられたビンとかカンカンとか結構あったみたいだよ。」
と申し訳なさそうに反論しました。和樹は
「ね、少しだけ砂浜の空き缶空きビン、一緒にひろわない?」
と提案しました。他の二人も賛成して三人で少しばかり回収して、袋を持ってなかったので海水浴場の建物の入口に並べておきました。
「浩介君、これってここの管理人さんが怒らないかな?」
「和樹君の心配はもっともだけど、今日のところは仕方がないよ。」
そして午後四時頃帰宅しました。帰宅と言っても和樹は朝一おじさんの家への帰宅なのですが・・・。
朝一おじさんの家へ帰ると、朝一おじさんは小説の「三国志」を読みふけっていました。和樹も読書は好きなので読んでいる最中は話しかけないでおきました。自分も大人になったら三国志っていうの読んでみよう・・・と思ったりしました。実は将来、大の三国志 ファンになるのですが、この時は知りようもないことでした。そのあと和樹はおとなしく夏休みの宿題をしました。こうして八月二日は終わりました。
次の日、新聞配達を終えると、朝一おじさんが
「今日は青島まで行く。」
と言い出しました。
「青島ってとこまで、どうやって行くの?」
と聞くと、
「おじちゃんの船で行きます。」
と言う返事です。
「おじちゃん、船持ってるの。なんて名前の船、何丸って言うの?」
そう聞くと朝一おじさんはちょっと考えてから
「ショウベンマル。」
と答えました。ショウベンマルとは方言で「おしっこをする」と言う意味です。それは朝一おじさんのいつものジョークだったのですが、和樹は意味がわからずにそのまま信じてしまいました。朝一おじさんはちょっと困った顔をしました。
その船は船と言うより小さなボートでした。もちろん小さなボートに名前なんかありません。いつの間に話を聞いたのか康雄君がやってきて、一緒に行くことになりました。
その日も空がまぶしく晴れわたっていました。海も水面にお日様の光を反射してキラキラ輝いています。船に乗り込みエンジンをかけると船の横、和樹の目の前を一匹の二十センチくらいの魚が浮かび上がってきました。
「あっ、魚、魚。」
と和樹がさわぐと朝一おじさんが黙ってアミを渡してくれました。和樹はあわててその魚をすくい取りました。
「とった、とった、星鹿に来てはじめて魚とった。」
と和樹がさわぎました。それは青っぽい灰色の背中に銀色のおなかでうろこの真ん中に黒い点があり頭が短くて太い魚でした。朝一おじさんが
「それはボラだよ。」
と教えてくれました。
「ボラって言うの。」
「うん、ただそれくらいの大きさのはイナっていうけどね。」
「えっ、大きさによって名前が違うの?」
と和樹は驚いて言いました。そんな話は産まれて初めて聞いたからです。朝一おじさんは続けて言いました。
「もっと小さいやつはオボコっていうんだよ。」
「へえー、これ食べられる?」
「うん、食べられるよ。」
「これ、食べさせてね、僕が今日初めてとった魚。」
よく朝そのボラはおかずになったのですが、あまりおいしくはありませんでした。
青島までは二、三キロはあったでしょうか。海が青いところや青緑のところがあってとてもきれいでした。
「海の色が違うのは海流のせいだよ。」
と朝一おじさんが教えてくれました。
「海流って何?」
と聞くと
「海の中にも川のように流れているところがあるんだよ。海流に流されると、とんでもない遠くまで連れていかれたりするんだよ。」
と言う返事でした。和樹はそんな話は初めて聞いたので、とても驚きました。ボートから首を伸ばして下をのぞきこむと二、三メートル下を泳いでいる魚の群と、さらにその二、三メートル下を泳いでいる別の魚の群が見えました。深い青色の海水の中を水色に輝いています。
和樹は思わず
「うわっ、きれい。水族館よりきれい。」
と大声を出しました。朝一おじさんと康雄君はそんな和樹をほほえんで見ていました。
ボートのエンジンも快調に島までの真ん中あたりに来たときです。エンジンが急に止まってしまいました。エンストです。
朝一おじさんは
「困った。島まではまだ遠いのに、このままでは海流に流されてサメのエサになってしまう。」
と言いました。
和樹と康雄君は
「ええーっ。」
と声をそろえて叫んだきり、何も言えなくなってしまいました。
朝一おじさんはさらに
「和樹君か康雄君のどちらかに島まで泳いでたすけをよんで来てもらわないといかん。」
と言います。
二人は真っ青になり、康雄君が
「あんな所まで、とても泳げない。」
と言いました。
「このまま、わしらは日本海をただよって韓国か中国まで流されることになるんだろうか?」
と朝一おじさんはつぶやきました。二人が顔を引きつらせていると、朝一おじさんは船底の古ぼけた棒を手にとって言いました。
「そうならないためにこれがあります。」
と言いました。康雄君が
「オールがあったか、でも一本しかない。」
とつぶやきました。
「そうです。これはオールです。日本語では『ろ』と言います。さて、ここで問題です。これをどうやって使うのでしょう?」
とまじめな顔の朝一おじさん。二人はまた冗談がはじまった、とくすくす笑いました。康雄君は二メートルくらいある『ろ』の真ん中を持って片方のはしをボートの右側の水面につけ、つぎに反対のはしを左側の水面につけて、
「これをくり返す。」
と言いながら、朝一おじさんの顔をじっと見ました。
「ぶーっ、はずれです。では和樹君の意見を聞きましょう。」
和樹は『ろ』の丸くなっている方のはしを持つと反対の平たくなっている方のはしを、右に、左に、とくり返して水面につけました。
朝一おじさんは
「ぶーっ、二人ともはずれです。和樹君は持ち方が近かった。これはこうして・・・。」
と立ち上がって自分の背中にかくれていた船尾の金具に取り付けて
「こうやって八の字を描くように水中をまわします。」
と言いました。
二人はくちぐちに
「ずるい、その金具、背中にかくしてた。」
「ずるい、ずるい。」
と文句を言いました。
「ははは、ごめんごめん。あのねえ、これからモーターで行くのに比べたらちょっと時間がかかるけどかんべんしてね。それと行き先はエンジンを修理するから鷹島に変更だから、ごめんね。」
と朝一おじさんがあやまったので二人は
「べつに、それはいいけど。」
と言いました。本当はその時、朝一おじさんは、二人がエンジンの故障で心細くならないように気をつかって、ジョークで気持ちをそらしてくれたのでした。そんなこととは全然気がつかない康雄君と和樹は自分にも『ろ』をこがせろとせがんで朝一おじさんを困らせたりしました。朝一おじさんがこぐとすいすい進むのに、和樹がこいでも康雄君がこいでも全く進まないのがとても不思議でした。
それから鷹島につくまで二時間くらいかかったのですが、『ろ』にチャレンジしたり、水中をながめたりしているうちに、和樹にはあっという間に着いた感じがしました。
「ほら、あれが鷹島だよ。」
と朝一おじさんの指さした方を見ると、青い空と青い海の真ん中に日の光を受けて黄緑色に輝く、ふたこぶらくだの背中みたいな形の島がありました。
鷹島についてまず目に入ったのは山の岩場をけずって作ってある大きな仏像でした。他は狭い入り江の中に十軒ていど家があるだけでした。朝一おじさんが鷹島でエンジンを修理してもらう間、二人は島にある神社のけいだいでセミの鳴き声を聞いて過ごしました。その神社はお堂は小さかったけれども、まわりを囲んでいる森は立派なものでした。
一方では「わしわしわしわし」また一方では「みんみんみんみん」そして「つくつくほうしつくつくほうし」ほかにも「じいじいじいじい」
和樹が
「こんなにそこらじゅうから鳴いてるセミの声初めて聞いた。」
と言うと、康雄君は
「田舎だからねえ。」
と当たり前のように言いました。本当にとてつもなくうるさいセミの鳴き声でした。しかし、夏の田舎ではそれがうるさく感じないのです。和樹は星鹿あたりではセミの鳴き声もけたが違うと思いました。涼しい神社の境内で二人の汗まみれのTシャツもかわいた頃、朝一おじさんは戻ってきました。
帰りのボートの上で朝一おじさんが
「ででんでんでん、ポイントにつきました。いよいよ釣りを始めましょう。」
といつもの調子で言いました。
和樹が
「でも、おじちゃん。釣り竿積んでないよ。」
と言うと、康雄君は
「ふふふ、竿はいらないんだよ。一本釣りって言うんだよ。」
と言うのです。
和樹は思わず「へ」と変な声を出してしまいました。朝一おじさんは手に釣り針のついた釣り糸を持ち、エサをつけると「ちゃっぽん」と水面に落としました。待つこと五秒・・・。ぐいぐいぐい、と釣り糸を持つ人差し指が一センチほど下がりました。
「きたきた。これは三段引きか。」
と釣り糸をたぐりよせると「ぴちぴちぴち」と十二センチくらいの青っぽい灰色と黒のシマシマの薄くて背が高い体の魚でした。口が鳥のくちばしみたいなのが印象的でした。和樹が言いました。
「三段引きって何のこと?」
朝一おじさんが答えました。
「こいつが針にかかったときの引き方を三段引きって、みんな言ってるんだよ。」
「きれいな魚だね。なんていう魚なの?」
「これはねえ、イシダイ。」
「おいしい魚?」
「さしみにしても鍋でも、塩焼き、照り焼き、煮付け。なんでもイケル、すごくおいしい魚なんだよ。」
と朝一おじさんが答え、康雄君が言いました。
「イシダイっていえば、テレビで玉運びの芸をやってたよ。」
「ほおお、それはおじちゃんも知らなかった。」
と朝一おじさんは言い、和樹がこう続けました。
「魚って頭悪いかと思ってたよ。頭いいし、おいしいし、なんかこれすごい魚なんだね。」
「本当に頭いいかはわかんないよ。」
と朝一おじさんが笑いながら言いました。
そして、それから二、三分して康雄君の指に反応がありました。
「おっ、当たりがきたきた。」
そう言いながら康雄君は糸を引き上げました。体が黒紫色で背ビレと尻ビレがトゲトゲしている魚でした。
「なんだあ、クロイオかあ。」
と言う康雄君に、和樹は聞きました。
「釣れてもあんまり嬉しくない魚なの。」
「僕はあんまり好きじゃない、この味。」
「それはね、正しくはメジナって言う名前なんだよ。クロイオっていうのは、まあ、あだ名みたいなもんだね。」
と朝一おじさんは説明しました。和樹は聞きました。
「おいしくないの?」
「冬場に人気なんだよ。さしみとか煮付けとかがね。」
「ふうん、それにしても、まだ釣れてないの僕だけだよ。もうっ。」
と言ったときに和樹の釣り糸を持っている指がぐいと引っぱられました。
「きたきた。やっときた。」
そう言って糸を引くと結構ずしりときます。
「おっおっ、なんか逆らうなあ、こいつ。」
少し手こずってから糸を引っぱって、黄色と黒のまだら色の二十センチくらいの魚が水面から顔を出したとき、朝一おじさんがあわてて言いました。
「その魚に触ったらだめだよ。ほら、歯を見てごらん。かみつからたら大けがする。」
和樹がびっくりして釣り糸を持って船底に投げ入れると、朝一おじさんはなれた手つきでその魚の体を持つとハサミで釣り糸を切りました。
「かまれたら危ないからね。ほら、すごい歯だろう?」
「なんていう魚?」
と聞いた和樹に、康雄君がかわって答えました。
「カワハギだよ。このあたりではキウロッポっていうけどね。」
「くさくないし、あっさりした味でね。人気者の魚なんだよ。なんでカワハギっていうかっていうとね、料理するときにこの固い皮をはぐからなんだよ。きれいにつるっとはげるんだよ。」
「へえー、おいしいんだ。」
と言った和樹に康雄君が笑って言いました。
「和樹君、おいしいかってばかり聞いてる。よっぽど食べたくてたまんないんだね。あははは。」
「あははは、ちょっとおなかすいてるかなあ。」
その次の当たりも和樹にきました。ぐいぐいと釣り糸を持っている人差し指を引っぱられて釣り上げると、それは背中が赤くておなかが白い十五センチくらいの体が薄くて背の高い魚でした。その魚は和樹にもひと目でわかりました。
「タイだ、タイだ。やったタイだ。」
とさわぐ和樹に朝一おじさんが
「タイだけに、こいつはめでたい。」
とだじゃれを言ったので、和樹は
「そのギャグすごく古いね。おじちゃん。」
と言いました。朝一おじさんは急にまじめな顔になって
「ごほん、そのタイはマダイと言います。それは今夜のおさしみ候補の一番手です。」
と言いました。
朝一おじさんが思い出したように言いました。
「そうそう、環境って言えばね、まき餌というのがね、問題になってるんだよ。」
「まき餌?」
「うん、針につけるエサ以外に、魚を集めるためにエサをたくさんばらまくことなんだよ。魚に食べられなかったたくさんのエサが腐って海を汚すってね。」
「へえ、そんな釣り方もあるの、でも僕たちは大丈夫だね。そんなのまいたりしてないから。」
三人は笑いながら釣りを楽しみました。和樹は船での一本釣りは、陸での竿釣りよりおもしろいと思いました。釣った時間の割にはあまり釣れませんでしたが、それでもビク一杯になりました。ビクというのは海にひたしておく網でできた魚かごのことです。その他にもイッサキやクサビ、ウマヅラハギ、ブリ、などなどが釣れました。
「今日はみんな小さめだなあ。」
と康雄君がつぶやいていました。その日の夕飯は魚づくしのテーブルで朝一おじさんも園おばさんも満足そうでした。もちろん和樹が大満足だったのは言うまでもありません。和樹も朝一おじさんも汗をかきかき熱い魚のお鍋をつつきました。
さてさて、また別の日、九時頃になって、隣の康雄君を訪ねると、康雄君の家に人が来ていました。康雄君の家の中は少し暗く真夏だというのにひんやりとしていました。家の造りがとても古いからなのです。
「ああ、この人が福岡から来ている村山君だね。」
とひとりの中学生が言いました。
「俺は満、よろしく。今から巻き貝をとりに行くんだけど、一緒においでよ。」
と和樹を誘ってくれました。ほかのメンバーは前から「仲間」の健司君と洋君でした。
和樹はもちろん
「行く行く絶対行く。」
と答えました。
満さんが康雄君に言いました。
「康雄君の兄さんのシュノーケル貸してやりなよ。」
「あっ、そうだね。うん、いいよ。和樹君水中めがねは持ってるけどシュノーケル持ってないんだよね。」
と康雄君が言うので、和樹は答えました
「えっ、持ってないけど。巻き貝って潜ってとるんだよね、シュノーケルなんかがいるの。」
「とる前に探すでしょ。その時潜らずに浮かんだまま下を見続けるからね。」
「あっ、そうか。」
「シュノーケルで潜るやり方も後で教えるね。」
岩場の海岸までは歩いて三十分くらいでした。黄緑色の草が少しだけ生えた白っぽい岩に囲まれた入り江で砂浜も少しありました。
和樹は満さんに聞きました。
「どれぐらいとればいいの。」
「初心者は体力全開で頑張らないとちょっとしかとれないぞ。ははは。」
康雄君が助け船を出しました。
「量じゃなくてね、時間で、二時間くらいかなあ。」
健司君が笑いながら言いました。
「シロウトには期待してないからさ。」
洋君も
「気楽にやってよ。気楽にね。」
と言ったので、和樹はプレッシャーを感じずに巻き貝とりを楽しむことができました。
けっこう、とれました。白っぽい岩や黒っぽい岩の上にいる二センチくらいの上から見ると丸くて横から見ると三角の奴が目当ての巻き貝でした。この辺りでは『みな』と呼ばれています。中にはこそこそと動く奴もいましたが、それはヤドカリでした。ヤドカリには何度もだまされました。和樹が康雄君と
「康雄君、ほらこれだけとれたよ。初心者にしては上出来でしょ。」
と話していると、水の少し深くなっているあたりで満さんが
「あったー。」
とさけびました。満さんはにこにこ笑顔で陸に上がってきて言いました
「ほら、みんな、サザエ、サザエ。」
康雄君が困った顔で言いました。
「えっ、だってサザエはとったら・・・。」
すると満さんが大声で
「合掌。」
と言いました。合掌とは手を合わせることです。お仏壇を拝むときのあれです。和樹がきょとんとしていると、みんなはすぐに手をあわせました。和樹がすぐにまねをすると、満さんが
「神様、仏様、キリスト様、ごめんなさい。」
と叫びました。
「神様、仏様、キリスト様、ごめんなさい。」
すぐにみんなが言いました。和樹もまねをしました。
満さんが言いました。
「さあ、これで許された。一個だけ、一個だけ。あ、和樹君ね、神様仏様は許しても大人は別だからないしょだよ。」
和樹はわかったような、わからないような、変な気持ちでした。見ると満さんは手に空き缶を一つ持っています。浜辺にうちあげられたものをひろってきたのです。ほかの三人は同じように浜辺から乾燥した木の枝をひろってきています。どうするのかと見ていると石を積んでかまどを作り、中に木の枝をしきつめて、空き缶に海水とサザエ、巻き貝を入れました。
そして満さんは
「これで料理の準備、出来上がり。」
と言って「しゅぼっ」とライターで火をつけました。
「ぱちぱちぱちぱち」乾燥した木の枝はよく燃えます。
「へえ、こんなふうにやるんだ。知らなかった。」
と和樹が言うと、康雄君が
「この塩味がなかなかいけるんですよ。」
とあいづちをうち、満さんが
「康雄がおやじみたいなこと、言ってるよ。お前、毎日お酒のんでるな。」
とからかいました。「ぐつぐつぐつぐつ」空き缶料理はわりとすぐにふっとうしだしました。
「よしよし、もういいだろう。」
と満さんは言って空き缶の中身を岩の上にぶちまけました。
「ほら、サザエ。和樹君、今日が初めてだから最初に食わしてやろう。」
と満さんは言い、洋君が
「ひとくちだよ、ひとくち。」
とつけ加えました。和樹はみんなの見つめる中、サザエをひとくちかじりました。
「うまい。こんなおいしいの初めて食べた。」
と和樹が言うと、
「とれたてだからね。当然だよ。」
と健司君がじまんげに言い、康雄君は
「うん、こんなぜいたくなおやつ、福岡じゃたべられないでしょ。」
とつけ加えました。和樹は、うんうん、とうなずきました。
「ライター持ってるのもあまり人には言わないでよ。」
と満さんは釘をさしてきて、さらに
「たばことか吸ってないからね。」
と言いました。康雄君は
「満さん、お前毎日たばこ吸ってるな。」
と言い返し、それでみんなは「あははは」と声をそろえて笑い、その日の巻き貝とりは終わりました。そしてみんなが帰ろうとしていたとき康雄君が言い出しました。
「あのね、みんな聞いて。和樹君は子供に出来る環境問題を考えるっていう課題があるんだって・・・。」
「環境問題?」
と、満さんは、すっとんきょうに答えました。そして話を続けました。
「子供って言うか、大人もやってるけど空き缶ひろいなんかかなあ?でも、子供に限らず人間一人が個人で出来る環境のためのことって、ずいぶん少ないと思わないか?」
和樹が返事をしました。
「そうだよね。しかもそれを、大自然の中で見つけてこいって・・・。」
「なんだそりゃ。環境問題って汚れた都会に多くあって、こんなきれいな自然の中にはあんまりないんじゃない?まあ最近、日本中、世界中の海岸で、こんな風にうち寄せられた空き缶空きビンがたくさん転がってはいるらしいけど」
「・・・・・・」
その満さんの言葉に考え込んでしまった和樹に、浩介君が提案しました。
「とりあえず、今日は空き缶でもひろって、それはまた今度かんがえようよ。」
みんなは黙ってうなずきました。そうして、みんな家に中くらいの袋一袋ずつ巻き貝を持ち帰りました。
そしてまた別の日、星鹿の小学校は出校日で、友達はみんな学校に行っていて、和樹はひまを持てあましていました。すると朝一おじさんはみかねて
「イワガニ釣りをしよう。」
と誘ってきました。和樹は
「やるやる。おもしろそう。」
と話に乗りました。
朝一おじさんは冷蔵庫からおさしみを取り出して細かく切りました。和樹は
「あっ、エサだねエサエサ。」
とうきうきして言いました。そしてとなりの空き地から竹の棒を持ってきて、一メートルの釣り竿を二つ作り、先っちょに釣り糸を結びました。
「これで出来上がり。」
と朝一おじさんが言ったので、和樹は
「どこでカニを釣るの。」
とたずねました。
朝一おじさんは
「船着き場のはしの方に流れ込んでいる小さな川の石垣だよ。」
と答えました。その釣り場は波止場をてくてくと朝一おじさんの家の反対側まで二百メートル歩いたところに流れ込んだ、幅一メートルくらいの川の、高さ二メートルくらいの石垣でした。
二人でその石垣へ行くと、なるほど体長三センチくらいの真っ赤なカニが、そこからここから、ちょろちょろと出たり入ったりしています。カニの赤い甲らがお日様の光を浴びて、石垣の濃い灰色とは対照的できれいです。
やりかたは実に簡単でした。朝一おじさんは糸の先に刺身の角切りを結びつけると、ひょいと石垣の石と石とすき間に持っていきました。するとイワガニはひょこっと出てきてすばやくエサをはさみます。
「いいかい、このはさんだ瞬間を、えいっ。」
カニはさしみをはさんだまま放さず見事、たらいの中に逮捕されました。和樹がカニをつかもうとすると、朝一おじさんは
「気をつけて、はさまれたらすごく痛いよ。」
と忠告してくれたのですが、和樹は
「いつもザリガニに、はさまれなれてるから大丈夫だよ。」
とききませんでした。そして・・・
「いてっ、いててて、いってー。」
「ほら、だから言ったのに。」
「あー、痛かった。ザリガニのはさみとはレベルが違うよ。」
「なんでも星鹿のはすごいだろう?」
「うん、ほんとだよね。」
朝一おじさんは、ははは、と笑いました。和樹はふと、思い出しておじさんにたずねました。
「この川も生活排水なのかなあ?」
「今はねえ、台所の水とお風呂の水は全部近くの川に流れるようになっているからねえ。」
「考えてみたら、なんだか汚いね。」
「おじちゃんが、昔、住んでいた村では、今、おトイレの処理水まで近くの川に流しているんだよ。村の子供は川で水泳が出来なくなったって悲しんでいるそうだよ。」
「うわあー、ひどいねえ。うちのお母さんの田舎でもね、道路工事に使う砂利を取るために山がまるごと一個なくなって、石を削った残りの砂を近くのかわにながしているんだって。」
「ねえ、田舎ほどそういうのは最近ひどいんだよ。田舎の人は『自然が汚れていく』って言う危機感が少ないからねえ、まあ、大自然に囲まれていれば無理もないけど、そこにつけ込む人たちがいるんだねえ。」
「そっかあ、だから満さんも環境問題なんて田舎はあんまり関係ないみたいなこといってたんだ。」
さて、その後はハサミにはさまれることもなく夢中になって一時間もカニ釣りをやった和樹でしたが、朝一おじさんは悲しい顔をしてこう言いました。
「あのね、和樹君、おじちゃんは帰るから、ひとりでカニ釣りをやってちょうだい。」
和樹が
「えーっ、どうして。一緒にやろうよ。」
と言うと、朝一おじさんは
「おじちゃんはね、恥ずかしくなった。昼間っから六十過ぎのおっさんがカニなんか釣って遊んでるなんて、いいとしして恥ずかしい。」
「えっ、おじちゃん恥ずかしかったの。じゃ、もうやめよう。」
そんなわけで楽しかったイワガニ釣りもしりすぼみに終わったのでした。しかし、その日は思ってもみない釣りびよりだったのです。それはその日の夜中にわかったことでした。
その日の晩に、いつも通り就寝した和樹は真夜中に朝一おじさんにゆり起こされました。
「和樹君、起きて服を着替えて、このジャンパーを着て。」
和樹は眠い目をこすりながら答えました。
「どうしたの、いったい。」
「すごいもの見せてあげるからついておいで。」
和樹はわけがわかりませんでしたがとりあえず言うとおりにしました。朝一おじさんはすぐそばの波止場へと和樹を連れていきました。真夜中の静かな波止場にぽつりとともった街灯の明かりの下に釣り竿を持った康雄君の姿がありました。すると何やら水のはねる音がさかんにしています。街灯に照らされた水面を見ると、きらきらきらきら、と銀色にまばゆく光っています。和樹は驚いて言いました。
「あれ何?すごくきれいだけど。」
朝一おじさんが言いました。
「サバの群がきてるんだよ。」
海水を照らしている街灯の光に誘われてやってきているのです。朝一おじさんはいつのまに用意したのか釣り竿を二本持っています。
「ほらほら、和樹君、入れ食い、入れ食い。」
といって朝一おじさんは和樹に竿を渡しました。「入れ食い」というのは釣り針を投げ入れたとたん、すぐに魚がかかることです。
エサをつけて釣り糸をたれると和樹は驚きました。あっという間に釣れたのです。ぐいぐいとけっこう重く、釣り上げると体長二十五センチほどあり背中が緑色でおなかが白っぽい銀色、体のラインがきれいな魚でした。
「和樹君、今日はついてるよ。」
と康雄君が言い、和樹は
「康雄君が知らせてくれたんだ。ありがとう。」
と言いました。
「いや、おじちゃんが教えてくれたんだよ。」
と康雄君は言ったので、
「あっそうか、おじちゃん、どうもありがとう。」
と和樹は礼を言いました。朝一おじさんは
「いい思い出になる。」
と笑顔を見せていました。
その後も入れ食いの連続でした。五匹目のサバはなんと背ビレに針がかかって釣れたりしました。そのくらい魚が寄り集まっていたのです。三十分でひとりにクーラーボックス一箱分くらい釣れました。これは和樹の人生最大の大漁でした。朝一おじさんと和樹は
「昼の分のうめ合わせができたね。」
「うん、ほんと、すごいよ、すごい。」
と話しました。和樹は船での一本釣りもよかったけど、陸地での竿釣りもすごく面白いと思いました。ようするに釣りは場所と時間が良ければ楽しくなるものなのだと知りました。和樹は少し興奮していました。その夜はなかなか眠れませんでした。
よく朝はもちろんおかずはサバの塩焼きでした。和樹は
「すごくおいしいねサバの塩焼き。」
と言い、朝一おじさんが言いました。
「塩焼きの王様かもね。」
朝七時に康雄君が迎えに来ました。
「きのう、夜中に釣ったから寝坊しちゃったよ。」
「僕も起きられなかった。ごめん。」
と二人は話しました。ふたりはこれからカブトムシとクワガタムシをとりに行くのです。それはきのうの約束なのでした。
ふたりは信号のない県道を森へ向かって四、五十分ほど歩きました。遠くに森や海岸線や、人家などがまばらに見える、だだっ広い平地を歩き、森に入って二、三分で一本の大きな、直径八十センチくらいのナラの木の下に行きました。遠くでせみがわしわしとないています。
「これこれ、これですよ。いっぱい落ちてくると思うから、離れてて。」
と康雄君は言いながら片足をあげました。すかさず和樹が
「ライダーキック。」
と言うと、康雄君は苦笑いして
「力が入らなくなるから言わないでよ。」
と言いました。
「でも、少しウケた?」
「少しね。」
「そうやってカブトムシ落とすんだね。」
「樹液の所にいるからね。」
と話しつつ康雄君は再び挑戦しました。「とん」と音がしてぱらぱら、とコガネ虫やとても角の小さいクワガタムシが四、五匹落ちてきました。康雄君は恐い顔をして黙っています。和樹が
「カブトムシも大きなクワガタムシもいないね。」
と言うと、康雄君はもう一度木の幹をけりました。しかし今度も大物は落ちてきませんでした。
「おかしいな、ここはいつもいるんだけど・・・。」
「よそに行ってるんじゃないの、今日はたまたま。」
康雄君は黙ってうなずきました。
四、五分ほど、スイカ畑の横の道を歩いて、クヌギの木の下に行くと
「ここ、ここ。」
と康雄君が言うので、和樹は
「今度は僕がけってみるね。」
と言って木の幹をけりました。でも、ここでも大物は落ちてきません。康雄君は
「荒らされた後みたいだ。」
と言いました。三カ所目、四方をナラやクス、クヌギの木に囲まれた場所で、ナラの木をけったときはスズメ蜂が、怒って追いかけてきました。ふたりは
「うわー。」
「逃げろー。」
と口々に叫びながら森の奥へ走りました。それからは康雄君の知らない木で、いそうな木を探して歩きましたがカブトムシも大きなクワガタムシもまったくいませんでした。気がつくと太陽は高く昇っています。ふたりともお弁当なんてしゃれたものは持ってきていません。
康雄君が一時間くらい前から恐い顔をしているので、和樹は
「今日はもう帰ろうか?」
ともちかけました。すると康雄君が小さな声で
「ここがどこかわからない。道に迷った。」
と言いました。空はどんよりくもっていて道ばたに咲いている鬼百合の赤い花がなぜかさびしげでした。康雄君は冷静に
「道に迷ったときはあんまり動きまわらない方がいい。」
と言いました。
「それからどうするの?」
「わからない。」
「そんなあ。」
と和樹は心細くなってしまいました。すると康雄君は急に明るい顔になって
「そうだ、ハチを呼ぼう。ハチが助けに来てくれる。」
と言い、和樹の
「でも、ここで呼んだ声がおじちゃんの家のハチにまで聞こえるのかな?」
という言葉に、
「犬は人間にない特殊な能力があるから大丈夫。」
と言い、
「くさりにつながってるよ。」
という言葉にも、
「ハチはね力が強いから時々自分でくさりを切って散歩するんだよ。」
と言いました。それで二人して大声で
「ハチー、ハチー、ハチー」
と叫び続けました。
五分ほど、こりずに呼んでいると遠くで犬の鳴き声がします。和樹が
「ね、あれハチじゃない?」
と言い、康雄君が
「たぶん違う犬だよ。でも飼い主が一緒にいてくれたらいいけど・・・。」
と言ったとき、遠くの丘の上にハチの姿が見えました。木々に囲まれた中をまっすぐに続いている道の一番むこうから、こちらへ走ってきています。和樹は
「あっ、やっぱりハチだ。すごい康雄君の言ったとおり本当にハチが来た。」
と言い、康雄君は
「本当に来た。ウソみたい。来るはずないと思ってたのに・・・。」
と涙ぐんでいました。和樹は康雄君にたずねました。
「えっ、来るって言ったの康雄君だよ。じゃあ、来ないって思いながら来るっていったの?」
「和樹君が泣かないように元気づけようと思って・・・。」
そうです。あの時、康雄君は一つ年上だからと思ってせいいっぱい強がりを言っていたのでした。それは康雄君のやさしさでした。そしてハチが来たことで安心したので思わず涙があふれたのでしょう。
「わんわんわん、わんわんわん。」
ハチはうれしそうに二人の方へかけよってきます。二人もハチの方へかけよっていきました。和樹も今までのさびしい気持ちとハチが来てくれたことのうれしさで目から涙があふれました。ハチは二人のそばにくると、うれしそうに二人を見比べながら、しっぽをふりふり、ほえつづけました。
和樹はハチに言いました。
「くさりを切って助けに来てくれたのかい?」
康雄君が和樹に言いました。
「いや、違うよ。くさり、引きずってないもん。」
和樹が頭をなでるとハチはほえるのをやめました。
そして、和樹はハチが来た方から朝一おじさんが走ってきているのに気づきました。
「おおい、大丈夫かあ。」
「おじちゃあん、おじちゃあん。」
朝一おじさんはかけよってきて言いました。
「カブトムシとりにしては遅いと思って、探しに来たんだよ。」
和樹は
「ハチが自分でくさりを切って助けに来たのかと思っちゃった。・・・僕たちハチを呼んでたんだよ。」
と言い、朝一おじさんは
「ハチはね、近くまで来てたから、きっと聞こえたんだね。和樹君たちを探してる途中でいきなりおじちゃんをおきざりにして走り出したんだよ。」
と話し、康雄君は
「やっぱりハチは頭がいいよ。星鹿の宝だね。」
とハチをほめました。
村まで帰る途中、康雄君が和樹に
「ねえ、おじちゃんはなんで朝一って名前になったか知ってる」
と聞きました。
「ううん、知らない。おじちゃん、なんでなの?」
と和樹が質問すると、朝一おじさんが答えました。
「おじちゃんは朝、一番に生まれたのです。」
「へえー、簡単な理由。」
「日の出とともに、朝一番に産まれるなんざあ、こりゃあ縁起がいいわいなあ。と、おじちゃんのお父さんがえらく感激してつけたのです。」
「おじちゃんのお父さん、そんな風にカブキみたいに言ったの?」
「全然違うけどね。」
「なあんだ、あはは。」
「そういえば、満さんもね、海が満潮の時に産まれたから満なんだって。」
と康雄君がつけ加えました。
「・・・ところで今日のカブトムシとりがだめだった原因は時間が遅かったからじゃないかな?」
と朝一おじさんが話をかえて、
「あしたは朝五時ね。」
と康雄君が和樹に言いました。
「よおし、あしたはがんばるぞ。」
と言う和樹に、朝一おじさんは
「あしたはハチを連れていったらいいよ。道に迷ってもハチが案内してくれる。」
と言ってくれたのでした。朝一おじさんの家に帰り着く頃には小雨が降り出して和樹たちはタイミングがよかったね、と話しました。和樹は課題の事なんてすっかり忘れていました。
さてさて次の日の朝五時、和樹はちゃんと早起きできました。福岡では朝寝坊ばかりの和樹もカブトムシが相手だと早く起きられるということはひとつの発見でした。真夏の早朝の空気はひんやりとしてすがすがしいものがありました。道々歩きながら和樹は
「ハチって、おしっこちかいよね。」
と言いました。すると康雄君は
「こうやって自分のにおいを残して、通ってきた道に迷わないよう印をつけてるんだよ。自分のなわばりの印なんだって」
と答えました。
「へえー、よく知ってるね。」
「犬学の基本だよ。」
「イヌガクっていうのがあるんだあ。」
「ないけどね。」
「康雄君、朝一おじちゃんみたい。」
「ははは、うつっちゃったかな。」
「はははは。」
「ねえ、和樹君。ハチの芸、見たことある?」
「ないけど、へえ、できるんだ。」
「ほら、ハチ。おすわり。」
と康雄君が言うと、ハチはすぐに歩くのをやめてすわりました。和樹はハチの前にしゃがんで言いました、
「お手・・・おかわり・・・ちんちん。」
ハチは言われたとおりに芸をしました。和樹は言いました。
「犬学の基本を身につけてるね。」
「はははは。」
話しつつ歩いていると昨日最初にけったナラの木の下に着きました。康雄君が
「今日は、絶対だよ。和樹君、けってみなよ。」
と言い、和樹は木の幹をけりました。
「ナムサン。」
「とん」といい音がしてばらばらと真っ黒いものが三つ落ちてきました。ひとつは見事に黒光りした体が五センチくらいで、頭の角が七ミリくらい、口の上の角が二センチくらいあるカブトムシです。二つめは少し赤黒い体が四センチくらい、角が十五ミリくらいの少し若いカブトムシ。三つめはまっ黒い色で体が五センチくらいの、二本のツノの内側が向かい合わせにギザギザになっているノコギリクワガタでした。
「うわあっ、すごい、すごい、自然のクワガタとカブトムシ初めてみたあっ。カブトムシとノコギリクワガタって子供の宝だもんねっ。」
「この夏休みは初めてだらけだね。」
「うん、後で山分けしようねっ。」
「僕にはめずらしくないから、全部、和樹君にあげるよ。」
「ほんとっ?ありがとうっ。康雄君は命の恩人だよっ。」
「それは、すごくおおげさだよ。」
「僕の気持ちはそれぐらいうれしいって事だよっ。」
二人はまたきのうと同じ道順でスイカ畑の横を通りました。すると、われているスイカをハチが食べ始めました。和樹は言いました。
「ハチってスイカも食べるんだ。犬なのに甘党なのかな?」
「犬は雑食だからね。野菜なんかも食べるよ。でも、これ見つかったら怒られるよ。こら、ハチ、食べるのやめろ。」
と康雄君が言うと、ハチは黙って康雄君の顔をじいっと見ると、言ってる意味がわかったのか、食べるのをやめました。
その時、遠くから子供の声がしました。
「あーっ、ハチがスイカ食べてたあ。農家のおじさんに言ってやろう。」
と、言いがかりをつけてきたのは最初の日に会った、名前を教えてくれなかった人です。康雄君は言い返しました。
「乃里子お、そんなことばっかし言ってると、和樹君に嫌われるぞお。」
すると、その人は真っ赤になって言いました。
「別に嫌われたっていいもん。好かれようなんて、思ってないもん。」
和樹は驚いて言いました。
「乃里子って名前・・・、君、女の子だったの?知らなかった。」
「どうせ、オレって男っぽいよ。全然、女の子らしくないもん。髪だってこんなショートだし、半ズボンだしね。」
と、乃里子ちゃんが言うと、康雄君が
「お前さあ、和樹君のこと美都子や健司君たちに、根ほり葉ほりきいてなかった?」
と、たずねました。乃里子ちゃんはこう答えました。
「だって、最近、和樹って噂の人なんだもん。」
和樹はまた驚いて言いました。
「えっ、そうなの。」
「だって、こんな田舎、ただでさえよその人来るの珍しいのに、しかも子供でみんなと友達になってるんだもん。すごく珍しいよ。」
「僕に聞きたいことあったらなんでも聞いてよ、乃里子ちゃん。」
「やだ、オレに『ちゃん』なんてつけないでよ。みんなは呼び捨てにしてるよ。」
とますます真っ赤になって答えた乃里子ちゃんに、康雄君は言いました。
「乃里子、今の話し方、なんか、女の子らしかったよ。」
「どうせ、オレはブスだから女っぽい話し方、似合わないよ。」
と、乃里子ちゃんが言うので和樹は思ったとおりを言いました。
「えっ、でも男ならハンサムで、女なら美人の顔してるよ。」
すると乃里子ちゃんは
「ばーか。」
と、叫んで、その場を走り去ってしまいました。康雄君は和樹に
「あいつも女の子のはしくれなんだね。」
と言い、和樹も
「女心は複雑なんだよね。」
と言いました。実は二人とも女心なんてさっぱりわかっていませんでした。ただ大人の真似をしてわかったつもりになっていたのです。
康雄君は
「うーん、わからない。」
と、つぶやきました。
そしてまた二カ所目のクヌギの木の下に行きました。和樹が幹をけると、角をふくめて九センチもある真っ黒いミヤマクワガタが落ちてきました。
「うおおっ、大物、大物。あっ、あっちのは飛んでいく。」
そのミヤマクワガタは無事にとれたのですが、別のカブトムシが羽をひろげて飛んでいってしまいました。和樹はくやしそうに
「ああっ、あのカブトムシおしかったなあ。」
と言いました。康雄君は
「また、とれるって。今日は絶対、大漁だよ。」
と言って和樹をなだめました。
ふたりはのりにのっていました。大きなカブトムシと大きなクワガタムシがとれるわ、とれるわ。お店で一番大きかった虫かごがいっぱいになってしまいました。そして調子に乗ってとりまくっているうちに、また今日も道に迷ったのです。康雄君が
「また、道に迷っちゃったよ。」
と言いましたが、和樹は落ち着いて
「ハチに連れて帰ってもらおう。さ、ハチ、帰ろう。」
とハチのくさりをくいくいと軽く引っぱりました。ハチはじいっと和樹と康雄君の顔を見ると、黙って歩き始めました。朝一おじさんによれば、強い犬はめったに吠えないのだそうです。
ハチはいつものように、時々、においをかいだり用を足したりしながらのんびり歩きました。しばらくハチの後についていくと二人の知っている場所へ出ました。二人は太陽に熱されてゆらいでみえるアスファルトの白線を、平均台をわたるようなポーズで、連なって歩きました。そして何事もなかったかのように村に帰り着きました。
このようにして和樹が星鹿で過ごす二週間はあっという間に過ぎ去り、八月十五日、和樹が星鹿町を去る日となりました。みんな和樹を見送りに、最初の日ドッヂボールをした白い板壁の郵便局の前の空き地に集まってバスを待っていました。
朝一おじさんは
「また来年もおいで、来年は二週間なんて言わずに四十日間泊まるように。」
と笑顔で言い、園おばさんは
「そんなに遊んだら先生に怒られるよねえ。」
と言いました。
和樹は
「大丈夫だよ、きっと来年も担任は坂本先生だからね、あの先生すっごく優しいんだ。」
と答えました。
浩介君は
「俺達気が合うからさ、来年も遊ぼう。」
と言い、康雄君は
「来年も待ってるね。」
と言いました。星鹿の仲間達はくちぐちに別れの言葉を半分ふざけつつ言いました。ハチは悲しそうに一回
「くううん。」
と鳴いて後は黙っておとなしくしていました。和樹は
(ハチにもお別れがわかるんだなあ。なんだかハチのやつ、すごく悲しそうだ。)
と思い、こう言いました。
「さよなら、ハチ。また来年会おうね。」
ハチはまた一回だけ
「くううん。」
と鳴きました。和樹はこう思いました。
(ハチッたら、来年会えるのがわからないのかなあ。)
バスが来て、窓から
「また来年ね。」
と言う和樹の目は少し涙ぐんでいました。
「絶対、来年だよ。」
「約束だからね。」
とくちぐちに言うみんなも涙ぐんでました。朝一おじさんも例外ではありませんでした。・・・変だなあみんな永遠の別れじゃあるまいし・・・と和樹は思いました。その時、空き地のずっと向こうの木の陰から、乃里子ちゃんが和樹を見送ってくれていることに気付きました。和樹は心の中で・・・さよなら、またね・・・と、そっと言葉をかけました。バスが発車してだんだん小さくなっていくみんなの姿に一生けんめい手を振っていると涙が止まりませんでした。その時、バスを追いかけて走ってくる一つの姿が見えました。ハチです。よく見るとハチはくさりを引きずっています。ハチがくさりをふりきって追いかけてきたのです。ハチは必死で走り、必死で吠えていました。ハチはまるで永遠のお別れと思っているみたいでした。
「わんわんわん、わんわんわん。」
和樹は一番後ろの席で必死に手を振って大声で
「はちいっ、はちいっ。また、来年会おうねっ。また、来年会おうねっ。」
と呼び続けました。ハチは時々立ち止まってハアハアと息をして休むとすぐにまた走って一生懸命に後をついてきます。和樹の目には、とおざかる村の景色とハチの姿がとても悲しく見えました。三つ目のバス停を通るころにはそのハチの姿も見えなくなってしまいました。その後、和樹はバスが電車の駅に着くまでただぼうっとしていました。まるで何か大事なものをなくしたような気持ちがしたのです。そして夏休みの課題も答えはまだみつかってはいませんでした。
その信じられない知らせが届いたのは、あれからちょうど二週間たった八月二十九日の夜でした。それは朝一おじさんが亡くなったというものでした。脳いっ血という病気だったそうです。
和樹は次の日、家族と一緒に星鹿町に行きました。ただ今回は遊びに来たのではなくて、お葬式に来たのです。和樹の目には星鹿が二週間前遊んだ所とは、まるで違う場所のように感じられました。
お葬式が無事終わって、和樹は何か変だと思いました。原因はすぐにわかりました。ハチです。ハチがいないのです。ハチのつないであった空き地で和樹は康雄君に聞いてみました。すると・・・。
「たぶんね、ハチはもう帰ってこないんだよ。」
「どうして・・・。」
「おじちゃんが亡くなった後、くさりを切ってどこかへ行っちゃったんだ。」
「それは、いつものことだと思うけど・・・。」
「いつもなら、その日のうちに帰って来るんだよ。園おばちゃんも横浜に行っちゃうし、ハチにはここに居場所がなくなることがわかったんだよ。」
「そういえば、この前、僕が帰るときね、ハチが僕に永遠のお別れをしているような気がしたんだ。・・・動物の不思議な勘ってやつなんだと思う。」
「うん、動物の不思議な勘だよね。」
「うん。そうだよ。」
「和樹君、もう泊まりに来ないの?」
「うん、おじちゃんの家もなくなるし、だいいち、おじちゃんもハチもいない星鹿は悲しすぎてたえられないんだよ。」
「そう。この前、泊まりに来たのはぎりぎりセーフだったんだね。」
康雄君は悲しそうに、ふうと息をすると和樹を一人にしてあげようとその場を立ち去りました。
和樹が福岡へ帰る時間まであと一時間という時、和樹は夕焼けの光の中、波止場に一人ですわって、ただ海をながめていました。そこへ声をかけてきた人がいました。乃里子ちゃんです。
「ねえ、和樹・・・今度いつ来るの?」
「わかんない。もう来られないかもしれない。」
「えっ、来られないかもしれないの?やっぱりショックだったよねえ。」
「おじちゃんが亡くなったからねえ。」
「やっぱり、生きてた頃には亡くなるなんて思ってもみなかったでしょ。」
「ハチとおじちゃんがいなくなるなんて悪い夢を見てるみたい。命って本当に大切なものだよね。前からわかってたらもっと大切にしたのに・・・。」
「この前のカブトムシどうしてる?」
「あれね、ほとんどかごの中でけんかして、死んじゃった。昆虫採集、大嫌いになっちゃった。」
「命の大切さってなくしてみて初めてわかるものなのかなあ、やっぱり。」
「うん、そうだよ、きっと。今頃後悔しても、もう遅いんだよ。」
「馬鹿、何言ってるの。遅くないよ。和樹、おじちゃんとハチのおかげですごく大切なことを今、学んだんだよ。これからはね、二度と後悔しないように、何が大切か考えて、人も動物も・・・植物とか、海とか、山とかも・・・大切に思って生きていければ素敵だよ。」
「そうだね、朝一おじちゃんが星鹿にいてくれたおかげで、僕は自然の美しさや、生き物たちの命のすばらしさを知ることができたんだよね。おじちゃんが亡くなる直前に二週間も泊まれて貴重な体験をして本当に良かったと思うよ。」
「きっと、おじちゃんの最後の置きみやげだったんだよ。あたしもね、今、和樹と話しているうちに初めてわかった気がする。和樹が自然や生き物の命を大切に思うみたいに、世界中のみんなも・・・。」
「うん。自然や生き物の命を、大切に思うようになれたらいいのにね。」
「あっ、今、わかった。環境のために子供が出来る一番大切な事って、自然を大好きになることなんだ。自然の中で遊んで、自然と友達になって、自然を大好きになることなんだ。」
「うん、わかる。そうすれば、自然を大好きになれば、自然を大切にするものね。夏休みの課題ぎりぎり間にあったね。」
「そうだよ、ありがとう乃里子ちゃん。」
「星鹿のこと忘れないでね。」
「うん。星鹿の自然と、星鹿の生き物たちと、星鹿の人たちの思い出は、きっと一生、心の宝物として大切にすると思う。」
「心の宝物か。素敵ね。あたしにも、そういうの、見つかるかな?」
和樹は思いました。・・・大人たちは環境問題って大騒ぎしてるけど、子供にできる環境問題って、山や海や自然の中にとびだして、木や花や動物たちや虫や魚と仲良しになって、自然を大好きになること。それが子供にできること、環境問題の一番大切なことなんじゃないだろうか。自然の美しさや生き物たちの命のすばらしさを自分で見つけられたら、きっとそれはその時、その人の心の宝物になってくれる、と。そう思う和樹なのでした。