月の降る夜は(風刺小説)

 月が降るわけないじゃない・・・・そう、彼女は言い返したんですが、まあそれも無理のないことですね。この私だって、一年前までは予想しなかったことですし、ましてや彼女はこの私が無理に冷凍睡眠から引き戻したばかりなのですから・・・・そんな支離滅裂な・・・・と常識から考えたのも無理からぬ事です。
  この世紀末、月が降るのですよ。ええ、確かインド洋沖三百二十キロ地点でしたよ。全世界が国連のもと、ひとつの政府に統合されておよそ千年がたちましたが、平和はそこまででした。昨年独立した某国が月軌道に近いところで、軍事目的の実験を行ったのです。はじめはなんの支障もないはずだったんですよ。ところが、どうしたことか、月の軌道が少しずれた。
  「そうだったの、あの人たちは、いつかそうするとは思っていたわ。この星のあるべき美しい姿を知らないのよ。」彼女の言葉です。
  「聞いていたのかい。君はどうする。」
  「そうね、もちろん、最後の日まで、植林や大気の清浄化に努めて、地球に産まれた人類ですもの、地球とともに消えゆくわ。」
  「他の惑星に移住しようという人々もいるけれど・・・。」
  「他の惑星を開発するのね。開発は破壊だわ。私たち人類がこの星でくり返した過ちを他の惑星にまで持ち込むって言うの。」彼女は目に涙を潤ませています。
  「安心していいよ。君が眠っている間の世論も君と同意見が殆どだったのだよ。」
  私もこの星の保護に関してはかなり肯定的なのですが、古代史を学ぶ私には私の時代のそれはいささか感傷的に過ぎるように思えるのです。・・・・珊瑚礁の生育海域を拡げ、魚類の棲み家を・・・・そう演説した政治家は、その持論は大いに賛同を得たものの落選しました。彼の祖先に日本列島の改造を唱え珊瑚の海を破壊させた人物がいたことに大衆が眉をひそめた結果でした。・・・・まさかそこまで敏感とは・・・・と彼は後にもらしたそうです。
  ・・・・この人類の終焉は、人類が地球に干渉したために、引き起こされたのです。それだというのに、人類が助かるエゴのために、再び自然律に干渉していいのでしょうか。そんなことはありません。宇宙へ出ることは、再び星を滅ぼす歴史をくり返すことなのです。美しく人類の罪を償おうではありませんか・・・・そう国連大統領はヒステリックに演説しました。情緒の洗練された世紀に住む私たちは、これを聞いてシュンとなってしまいました。
  おそらく、この世紀末の憂鬱は今まで経験したどの世紀末の退廃よりも哀しいものでしょう。だって、過去の末法思想、終末思想とは異なって、このたびは、本当におしまいなのですから。
  「あれが今の月の姿なの。綺麗なほうき星なのね。」彼女が誰に語るともなく言いました。  ・・・・人類を消し去る月だと言うのに、感傷的だね・・・・とても私にはそれは言えないんですよ。だって彼女のその言葉は時代の言葉そのものなのですから。
  ああ、もし人々が、環境について、鈍感でなく、感傷的すぎなかったら・・・。いえ、つい口が滑りました。古代史で二十世紀を学ぶ変人の言うことです。どうか、気にしないで下さい。徐々に大気圏に侵入しつつある月は、青く光る炎となって、私の目にも美しく映っています。月の降る夜は彼女と私はどうしているのでしょう。
  「きっと、ここでこうして月の最後の輝きにみとれていると思うの、あたし。」
  そうして人類は一部の人々への制裁を自らに科して、永い歴史に幕をとじるのでしょう。

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