少年が旅立つ時


第一章「密偵ハンス」


大きな屋敷があった。緑の屋根に緑色の縁取りの大きな窓、白い壁。その真っ白さはその壁が、この星の緑砂風にさして影響を受けておらず、しじゅう塗り替えられていることを示していた。少年は憧れのまなざしで屋敷を見上げていた。
・・・ふつうの部屋ばかりだと十二かける三階で三十六部屋、大きな部屋ばっかりだとしてもきっと十七はあるぞ。それにしても何て素敵な家なんだろう。・・・そう少年は思った。そして、すぐに家の正面のガードマンに目を付けられないようにしなければと気づいて歩き出した。 なにしろ警備は厳重だ。この家の主のジム・ピータリックは、この銀河系の端っこの四つの植民惑星からなる大きな国の、たった二十人しかいない議員市民なのだから。少年は以前、裏庭でとっつかまった時のことを思い出した。この屋敷だけでも六人もガードマンがいる。ガードマンは少年の尻を十ばかりたたくと、ただのいたずらと思い帰してくれた。・・・これだから子供は便利さ・・・。
少年の名はハンス。十一才。この屋敷から十キロの位置にある、スコープ山で猟師をしているエド・コールマンの息子である。スコープ山のふもとの『ミス・ヒカルの小学校』に通っている。ハンスはその小学校では目立たない方だと自分では思っていた。生徒はたったの八人しかいなかったが、その中では最もおとなしい性格のハンスが自分でそう思うのは無理もなかった。しかし、実はハンスのこうしたエドに頼まれての秘密行動にみんなはうすうす気付いていて、クラスでは一番注目されていたのだった。
ハンスは土手の陰をはって屋敷の裏へまわり木立や花壇の陰に隠れながら、屋敷の壁に一番近い茂みに身を隠した。そして胸のポケットから、はつかねずみを一匹出して、優しくなでながら言った。
 「ねえピコ、これでしばらくお別れだけど、いい子にしてるんだよ。『かわいそうなおじさん』の言うことをよく聞くんだよ。ちゃんとエサを好き嫌いせずに食べるんだよ。体に気をつけてね。えーとそれから・・・。また一ヶ月したら迎えにくるからね。それじゃ教えられたとおりにお部屋まで行くんだよ。『かわいそうなおじさん』によろしくね。ばいばーい」
ハンスはいつものように精一杯別れの言葉をかけて、はつかねずみをはなした。はつかねずみは小走りに屋敷の壁までの二メートルをかけると、雨どいの中へ入っていった。そして器用に一番上まで上り、はつかねずみ用の穴から屋敷の中へ入っていった。二分ほどして、さっきの雨どいから、はつかねずみが出てきた。そして少年を見つけてかけよってきた。
「キキ」
「お帰りキコ。久しぶりだね。さあ、早く、ポケットの中に入って。」
さっきのはつかねずみとは別のものだった。ハンスはもと来たようにして急いで引き返した。
屋敷から離れると、ハンスは意気ようようと帰路についた。
 (・・・どんなもんだい、今日もバッチリだ・・・でもいったい何がバッチリなんだろう。今日は忘れずに聞かなくちゃ・・・。)
家までの十キロの道のりも、スコープ山を所せましとかけ回っているハンスには何てこともなかった。


「ただいま、父さん。ただいま、父さーん。」
バンガロー風の小さな猟師らしい家の戸を開けてハンスが言った。父のエドの声がした。
「きちんとドアを閉めて、鍵をかけるんだ。」
ハンスは言われたとおりにした。この家は部屋が四つあった。入口のところがダイニング、奥が父の部屋。右側にハンスの部屋。エドの寝室へのドアが開いていて、中が見えた。床の一部がせり上がった。扉になっていた。地上の三部屋のほかに広い地下室があった。
 エドが顔を出して言った。
「お帰り、ご苦労だったね。いつも言ってるようにどんなときも声をかけてからドアを開けるんだ。絶対にこの地下室を人に知られないようにね。」
「ごめんよ、父さん。俺、うっかりしてたんだ。でも、なぜなんだい。」
 「地下室には高い機械がたくさんあるだろう?泥棒が知ったら、盗みにくるだろうし、政府が知れば、難クセつけてもってっちまうだろう?」
 「うーん、なんか変だなあ。」
 「何がだい」
「いいや、別になんでもないけど・・・。」
 「ネズミは・・・その・・・何て言ったっけ」
 「キコだよ。」
 「さあ貸してくれ。」
 「何するの?」
 「いつも通り歯をちょっと調べるだけだよ。さあ」
 「ホント?」
 「ああ、神に誓って。」
「それから、父さん・・・」
 「後にしてくれないか、忙しいんだ。」
エドはあわただしく床の戸を閉めると、つぶやいた。
 「あの子もだんだん賢くなってきたな。そろそろ通用しなくなってきたようだ。」


 ハンスはエドが地下室から出てくるまで読書をして待った。三十分してエドは上がってきた。そしてはつかねずみのキコを床にはなした。ハンスはかけよってきたキコを胸のポケットに入れた。
 「また、面倒みてやってくれ。」
とエドは言った。そして部屋の隅を床から天井まで通ったパイプをたたいて続けた。
 「こいつの訓練も念入りにね。」
そのパイプは地下室から天井裏の一番上まで続いていた。天井裏にははつかねずみの巣箱があって、地下室の壁は白く塗ってあり、あの屋敷を真似ていた。そして同じようなセットがもう一つあった。つまりそれはハンスがはつかねずみを連れていく場所が二カ所あることを示していた。
 「父さん、聞きたいことがあるんだ。」
 「なんだい」
「かわいそうなおじさんって誰だい?」
 「えっ!?・・・だから話したろ、あそこの三階に住んでてね、ガードマン達に見張られてる人さ。体が悪いのに無理して動き回りたがるから、無理をしないように見張られてるのさ。」
 「一ヶ月ごとにねずみ達を連れていくのはどうして?」
 「だからさ、あそこのおじさん、寂しがりやなのさ。」
 「どうして『こっそり』なの?」
 「あんな大きな家に住んでると、面倒な決まりがたくさんあるんだよ。」
 「ねずみを交代させるのは?」
 「病気がないか調べてるんだよ。」
 「足の不自由な女の子のお屋敷の方もそうなの?」
 「ああ、そうだよ。今までにも何度か言ったろう。」
 「人形売りのおじいさんに渡す紙は何なの?」
 エドは顔をそむけて言った。
 「父さんの考えたおもちゃのデザインが書いてあるんだよ。」
 ハンスは父の顔の向いた方へ移動すると、食い入るように父の顔を見つめていった。
 「道ばたにも面倒な決まりがたくさんあるのかい?」
「ああ・・・いずれ詳しく話してあげよう。おまえもだいぶ、大きくなったことだしな。自分が何をやっているのか知りたいだろう。」
ハンスの顔が輝いた。
 「うん、それに・・・」
ハンスの言葉をさえぎるようにエドは言った。
 「急いでこれを、人形屋に渡してきてくれ。いつものように・・・」
そして言いながら紙切れとお金を差し出した。
「うん、わかってる。三番目にすすめられたおもちゃを買って、代金を渡すときにお金に紙切れをはさんどけばいいんだろ。」
 「そうだ、急いでくれ。」
 「うん。急いで行ってくるよ。」
 エドは思った。今まで自分の反政府活動に一つも事情を話すこともなく、言い訳のうそばかりついて手伝わせてきたけれども、そろそろきちんと話す時期にきているようだと。


 ハンスは歌を口ずさみながら山をかけ下りた。途中、歌につられてアーピーが頭上をついてきているのに気づいて歌うのをやめた。アーピーとは頭の形と体の大きさがウサギのようで、コウモリのような羽を持つ、この星に元からいる鳥の一種である。
 山からの眺めはよかった。ハンスはこの眺めが好きだった。ハンスはこの星を勝手に『グリーン・ママ星』と呼んでいた。友達に言うと、いつもひどく笑われたが、それでもそう呼んだ。・・・KE2星なんて、あんまり味気ないよ。グリーン・ママはかっこ悪いとしても、僕だったらグリーン・アドベンチャーとか、グリーン・フロンティアとか・・・とにかく大人は頭が固いんだ・・・。ハンスは以前、本で『緑の地球』という表現を目にしたが、この星こそ『緑の』と呼ばれるにふさわしいと思っていた。空は砂漠からの緑砂風で淡く緑がかった水色であることが多かったし、土や砂もほとんど淡く緑がかった黄土色だった。もちろん地球産の種を改良した子孫の植物も緑色だったし、海は緑土が流れ込み、美しい青緑色だった。まるで緑色をテーマカラーに描かれた美しい風景画のようだった。この景色を見ていると、どんな時も心がなごみ、ハンスは母親の優しさとは子供をこんな気持ちにするのじゃないかといつも思っていたのだ。ハンスの母はハンスを産んですぐに亡くなり、写真すらも残っておらず、父のエドはつらいらしく思い出話をするのも嫌がるのだ。
 この景色の中でハンスの嫌いなものが一つあった。大きな真っ赤な屋根。しかもその赤は緑砂の影響で『静脈の血』のようだった。その屋根はロシュメル第一市民官邸のものだった。第一市民とは要するに元首のことだった。その屋根の色が風景を乱していると言うだけでもハンスがロシュメル第一市民を毛嫌いするには充分だった。その嫌いようは、友達の間で「そら後ろ姿が第一市民に似てるぞ」とか「しぐさが第一市民みたいだ」などと言って、ハンスが嫌がるのをはやし立てるのが流行したほどだった。実はハンスはエドが反政府活動を行っていることにうすうす気付いていた。文句も言わずにその活動を手伝っているのは、ロシュメル第一市民とその政治集団の悪政に子供なりに抵抗しているつもりだった。
 今度は道のりが二十キロほどあったのでハンスはふもとの牧場で馬を借りた。顔なじみなのでお金はいらなかった。ただ、いつものように『おいしい草』を腹一杯食べさせることを約束させられた。


 宇宙港のそばの市場街にはすぐに着いた。ハンスは目当てのくすんだ青い色のテントを路上に見つけると、声もかけずに、並んでいるものを物色するフリをした。
 「ぼうや、これなんかどうだい?」
古びた赤いベレー帽をかぶり、ちょびひげをはやした人形売りの老人が大きな黒いパイプから煙をくゆらせて星間警察船をかたどった金属製のおもちゃをすすめた。
ハンスは思った・・・よりによってこんなのを最初にすすめるなんて、三番目にしてくれりゃいいのに・・・。ハンスは残念さで胸をいっぱいにして首を横に振った。
 「ふーん。じゃ、これはどうかな、この星のオリジナルだよ。」
老人はぬいぐるみを手にとってハンスの目の前につきだした。
 「アーピーだ。」
 「珍しいだろ。」
 「うん、でもいらないよ。」
 (・・・つぎだ、いったいどれをすすめるだろう・・・。)
ハンスの胸が少しときめいた。
 老人形売りはもう一度星間警察船のミニチュアを手に取って言った。
 「ぼうや、わしはこれがやっぱりいいと思うよ。」
 ハンスは少し迷うふりをして、例の紙切れをはさんだ紙へいを渡して、それを受け取り無事役目を果たした。このおもちゃには仕掛けがしてあって、どこかに父エドへのメッセージがあるはずだった。
また馬に乗って市場街を離れると、ハンスは言った。
 「ヤッター。本でしか見たことのない星間警察船のミニチュアが手にはいるなんて、ちょっとした事件だぞ。」
 しかし家ではちょっとしたどころではない一大事件がハンスを待っていた。ハンスは心の中で叫んだ。
 ヤッター。


第二章 初恋はあまのじゃく


 ハンスは自分の部屋をあけ渡さなくてはならなかったが、それもどうってことなかった。出かける前の疑問もすっかりどこかへ行ってしまった。ハンスは目を見張った、その女の子のかわいさに。その女の子は栗色の長い髪を二つに分けて三つ編みにしていた。本以外で三つ編みにしている女性を見るのは初めてだった。クリッとした瞳がキラキラして見えた。
 「こんにちは。あたしナンシーっていうのよろしくね。」
ナンシーの声が頭の中で何度もこだました。
 「ボ・ボ・ボクはハ・ハ・ハンス、おじゃまします。」
よろしくお願いします、と言ったつもりだった。ナンシーがくすくす笑っていた。
 エドがあきれたように言った。
 「おやおや、我が家の腕白君は、思いがけない美人とのご対面に緊張しちまったのかな。」
ナンシーの父が言った。
 「まあ、まあ、ハンス君、しばらく、君の部屋を借りることになるけれど、よろしく頼みますよ。」
 ハンスはあれっと思った。その顔を前にどこかで見たように思ったのだ。
 続けてナンシーの母が言った。
 「突然おじゃまして本当にごめんなさいね。」
エドが言った。
 「おじさん達はね、旅行の途中にわざわざ寄ってくださったんだよ。しばらく、ゆっくりしていってもらうつもりだから、ナンシーのいい友達になってあげておくれ。」
 「うん、もちろんさ。ナンシーはミス・ヒカルの小学校に行くの?」
 「いや、いつ出発するかわからないから行かないんだよ。それから、ここでは静かにのんびりしたいそうだから、誰にもおじさん達のことは言わないようにね。」
 (あっ、また内緒なんだ。)
ハンスの心の中にちらっと疑問がよぎったが、それはすぐに忘れ去られてしまった。この女の子の存在が大きく心の中を占めてしまったからだった。


 ナンシーとハンスはすぐに仲良しになった。二人はとても気が合うようだった。お互いがちょっとした読書家だと知って二人はよく読んだ本について話した。いくつかの物語については全く意見が一致した。あとは意見はまちまちだったが、それは別に気にならなかった。子供の二人には遊びは数限りなくあって時間が足りないくらいだった。時々けんかもしたが、すぐに仲直りして原因も覚えていないくらいだった。


 ナンシーが来てから六日目のことだった。二人で山に登って緑の景色を眺めながら歌を歌っていたときのことだった。『グリーン・グリーン』を合唱し終わってナンシーが言った。
 「あたしの一番好きな歌はね『あかね色の夜明け』っていう歌なの。静かなバラードって言うタイプの歌なの。パパがよく歌うの。知ってる?」
 「ちょっと歌ってみて。」
 ナンシーがはじめの方を少し歌った。
 「東の空が白み始めたら、新しい一日の始まり。・・・」
 「あ、知ってるよ。父さんが昔歌ってた。でも僕が真似して歌ってるのを知って歌わなくなったんだ。そして僕にももう歌うなって。そういうのが何曲かあるんだ。」
 「どうして?」
 「たぶんね、昔のことを思い出したくないか、隠したいか、どっちかなんだ。」
 「ふーん。」
 ハンスは禁じられたときのことを思い出した。ハンスは家のそばの草むらに寝転がって何気なく口ずさんでいた。
 「永劫の剣を全ての人に、緑の大地を・・・。」
そうしたらエドが蒼白な顔でもう歌わないようにと、特に人前では二度と歌うなと語気も荒く言ったのだ。その時にはじめて父親にもう一つの顔があるらしいと気付いたのだった。
 「じゃあ、音楽の教科書の『スペース・レクイエム』は好き?」
ナンシーが聞いた。ハンスがうなずいて、二人で歌っていると。いつの間に来たのか、頭上に二匹のアーピーが羽ばたいていた。ナンシーはそれに気づいて、驚いて叫ぼうとした。あわてて、ハンスはナンシーの口を手で押さえた。
 「落ち着いて、大きな声を出しちゃだめだよ。いいかい、大声を出したりしなければアーピーは安全で無害な奴だからね。大声を出さないって約束してくれるかい。」
 ナンシーは驚いてハンスを見つめていたが、やがてこっくりとうなずいた。ハンスは手を離した。
 ナンシーはささやくように言った。
 「びっくりした。だって始めて見たんだもん。そう、これがアーピーなの。」
 「うん、こいつはね優しく歌を歌ってると寄ってくるんだ。」
 「大声を出すと危険なの?」
 「耳がとても敏感なんだよ。大声や大きな音をたてて驚かすと、怒って口から大きな鋭くて頑丈な舌を出して襲いかかってくるんだ。そしてそいつにやられると、二、三日の間、記憶喪失になるんだ。」
 「まあ、こわい。あたし、まだ胸がどきどきしてる。」
そういってナンシーはフラフラっとハンスの肩にもたれかかった。ナンシーの髪の優しい香りがした。怖さからではなく、ハンスの胸もどきどきしていた。そしてつぶやいた。
 「いったい僕、どうしたって言うんだろう。」


 次の日、二人で話しているとき、ナンシーが何気なく言った。
 「ハンスどこか変よ。気分でも悪いの?」
 「ううん。」
「変よ、やっぱり。なんだかふし目がちだし、あたしから視線をそらしてるみたい。」
 「そんなつもりないんだけどな。でもやっぱり少しいつもと違うみたい。」
 「でしょう。今日は早く眠った方がいいかもよ。」
「そうするよ。」
そう言ってハンスはいつもより早めに床についた。いつもより少し寝つきが悪かった。


次の日は学校で友達と遊んでいると、前と変わらないすこぶる元気な自分に気づいた。そして思った。・・・きのうはどうかしてたんだな・・・そして家に帰るとやっぱり変だった。
 「ねえ・・・って本読んだことある?」
 「さあ、どうだったっけ。」
 「とてもおもしろいのよ。」
 「ふうん、それで」
 「あのね、主人公がね・・・それで、川を渡ったらね・・・。」
 ハンスはナンシーの言葉が耳に入らない風で、ただぼうっとして天井を見ていた。
 「・・・ねえ、聞いてるの?」
 「うん、聞いてるよ、それで?」
 ハンスは息苦しくて、ナンシーの顔を見るのが恐かったのだ。なぜだかさっぱりわからなかった。そして努めて平静を装うようにしていた。それが冷たい態度になってしまっていた。


 また次の日。ハンスはいっしょに山を散歩しようと誘われた。
 「え、別にかまわないよ。行っても行かなくてもいい。」
 「じゃ、行こうよ。」
 「ああ。」
 ふもと近くの牧場が見える付近で石けりをしていると、背が高くいかついパトロール警備官に声をかけられた。ハンスはナンシーが顔をこわばらせたのに気づいた。そして何か訳があるらしいと感づいた。警備官は確かめるように聞いた。
 「ナンシー・サマーだね?」
そして返事も聞かずに二人の腕をつかんで引きずるようにして、ふもとへ向かった。ハンスは聞いた。
 「おじさん。」
 「なんだ?」
 「歌、歌ってもいいかい?」
 「なんだ、図太い奴だな。勝手にしろ。」
 ハンスは静かにバラードを歌った。後ろをチラチラ見ながら。そして、にやっと笑って、突然警備官の腕にかみついた。警備官の叫び声にこたえるようにして、頭上にいたアーピーが警備官に襲いかかってきた。しかし、警備官は反射的にホルスターから拳銃を引き抜いてアーピーを撃ち落としてしまった。ハンスは十メートル先の一点を目指して、茂みを猛然と走った。警備官は追いかけながら言った。
 「むだなことはよせ。」
 ハンスは目標地点を軽くとびこえた。警備官はそこへ足をふみいれた。鈍い金属の音がして警備官の足をとらえた。竜イノシシ用のわなだった。エドがハンスに仕かけさせたものだった。もちろん食事のためである。警備官はわめきちらした。すぐにアーピーが三匹飛んできて警備官を攻撃した。警備官はぐったりとなった。
 「やった。これで二、三日はこいつ、自分が誰かもわからないぞ。最初のアーピーがだめだったときはちょっとはらはらしたな。」
そう言ってハンスは置き去りになっていたナンシーの方へ引き返した。ナンシーはかけよってきてハンスにしがみついた。目に涙をためていた。そして息を切らして言った。
 「ありがとう。どうなるかと思ったわ。あたしは連れて行かれて、パパもママも捕まるところだったの、本当にありがとう・・・。」
 ハンスはナンシーの腕を無理にふりほどくと顔を真っ赤にして言った。
 「礼を言う必要なんかないよ。僕だって捕まるところだったんだ。」
 ナンシーはとても悲しそうな目でハンスを見つめた。ハンスの胸はしめつけられるようだった。そして無理に笑顔を作って・・・苦笑いになっていた・・・言った。
 「本当によかったね。早く家に帰ろう。そうだ、早く父さん達に報告した方がいい。」
 そしてナンシーの手を取ってかけ出した。


 家に帰ってエドに手短に話すと、エドは顔をしかめて首を横に振ると、ハンスの部屋にいるナンシーの両親を呼んだ。
 「デイビッド、この子達は今さっきパトロール警備官に見つかって連行されかけたそうだ。」
 「え、では、すぐにも追っ手が来るのでは・・・。」
 「いや、そいつはアーピーにやられたそうだ。」
 「記憶が戻るまで・・・。」
 「二日は大丈夫ってことだ。しかし、急いだ方がいい。明日にも船を手配しよう。」
 「頼むよ。」
 ナンシーの母が心配そうに言った。
 「私たち、どうなるんでしょう。港まで見つからずに行けるのかしら。」
 「大丈夫、心配してもはじまりません。もちろん、変装はしなければいけません。しかし、考えが甘かった。子供の顔まで手配しているとは。」
 「父さん、パトロール警備隊を敵にまわしてるのかい。」
 「いや、たぶん連中は行方不明で探してるだけだ。」
 「でも追っ手って・・・。」
 「ああ、それはある議員市民の私兵のことだよ。」
 「私兵?」
 「自分のために勝手に作った軍隊のことだよ。」
 「そんなのがいるの・・・。」
 「表向きはいないことになってるがね。そしてパトロール警備隊の中にも私兵みたいになってしまってる奴らがいるんだ。そんなことよりも二人とも、父さん達は大事な話があるから、ここでおとなしくしてるんだよ。」
そう言って三人は地下室に降りていった。すぐにエドが上がってきて言った。
 「ハンス、これを人形屋に渡してきてくれ。大急ぎだ。」
 「わかったよ。」
と言ってハンスはむしり取るように紙へいと紙切れを受け取ると、ポケットに入れかけ出した。ナンシーが声をかけた。
 「気をつけてね。」
 ハンスは返事をするゆとりがなかった。何か大変なことが起こっていると気づいたのだ。
 エドは地下室へ戻り、ナンシーはただ一人で涙をこらえていた。
ふもとの牧場で馬を借りてハンスは市場街に来た。ハンスの顔を見て老人形売りの顔色が一瞬変わった。
 「ぼうや、どういうのが欲しいのかね?」
 ハンスは、おや、いつもと違うぞ、と思ったが黙って最初に目に付いたリスのぬいぐるみを指さした。人形売りが値段を言った。ハンスは紙へいと紙切れを渡した。人形売りはぬいぐるみを紙に包むと渡し言った。
 「ぼうや、ちょっと、わしは用事があってな。ここを少しの間はなれたいんだが、ここの番をしていてはもらえんかの。」
 「ああ、いいよ。」
とハンスが答えると、老人はゆっくりのっそり歩いていった。ハンスは小汚いテントの中の老人のいすに腰かけて、老人の帰りを待った。ハンスにはその二十分ほどが恐ろしく長く感じられた。そして老人は行きと同じくのっそりと帰ってきた。そして言った。
 「すまなかったの。これは、ほれ、番をしてくれたお礼じゃよ。」
そう言って、さっきのものと同じぬいぐるみを渡した。ハンスは礼を言うと急いで馬に乗って家に帰った。


 家を出てから帰り着くまで、二時間あまりかかっていた。
 「ただいま。」
 ハンスはドアの前で一呼吸おいてドアを開け、中にはいるとすぐにドアを閉めた。
 「お帰りなさい。大分、時間がかかったみたいね。」
とナンシーが言った。
 「あ、ああ。」
 「あのね、ハンス。あたし達・・・ねえ、聞いてくれる?」
 「いいよ。」
 「あのね・・・あたし達、明日には出発するんだって。」
 「ふうん、そう」
とハンスはそっけなく言った。
 「ただ、それだけ。」
ナンシーは怒ったように言うとプイとそっぽを向いて席を立ち部屋へ引っ込んだ。ハンスは父の部屋へ引っ込んで地下室の父に老人にもらったぬいぐるみを渡すとただ一人考えた。・・・どうして、あんな態度しかとれないんだろう・・・。ハンスは自分が恋をしていることに気づいてなかった。それが初恋というものかもしれなかった。
 夕飯の時にも二人はほとんど口をきかなかった。大人達も難しい顔をしていて、食卓には重苦しい空気が漂っていた。


 夕食後しばらくしてからハンスは今はナンシー達の部屋になっている自分の部屋をノックした。
 「はい。」
ナンシーの母が顔を出した。
 「あら、ハンス。ちょっと待ってね。ナンシー、ハンスがご用よ。」
 「はあい。」
 ナンシーはダイニングに出てきた。ナンシーはたずねた。
 「どうしたの、何?」
 ハンスは背中に隠していたものを差し出した。
 「はい、これ。」
 昼間のリスのぬいぐるみだった。
 「え、あたしにくれるの?ほんと?わあー、うれしい。ありがとう、ハンス。やっぱりハンスは優しい人ね。」
 ハンスは真っ赤になってあわてて言った。
 「そんなんじゃないよ。父さんの言いつけで人形売りにただでもらって二つになってそれで、その・・・要するに僕はそれいらないんだ。」
ハンスはそう言い放つと父の部屋へかけ込んだ。ナンシーは悲しい顔をしてつぶやいた。
 「どうして・・・。」


 次の日は小学校は休みだった。朝起きるとナンシーはいなかった。山の一番見晴らしのいいところだろうと見当をつけて、ハンスは後を追った。そして自分に言い聞かせた。
 「仲直りしなくちゃ、そうだ、ごめんって言うんだ。」
 しばらく登っていくとナンシーは予想通りそこにいた。
 「ナンシー。」
ナンシーは振り向くと冷たく言った。
 「何か、用?」
 ハンスは意地になって言った。
 「今、角リスを見なかった?確か、こっちの方に来たんだけど。」
 「知らない、そんなの。」
 「おかしいなあ。」
 そしてハンスは用もないのに何か追いかけているようなふりをして、急いで上へ登って行った。


 家へ帰ると、また、人形売りへの取り次ぎを頼まれた。そして、ナンシー達は出発を急ぐから、間に合うようなるべく早く帰ってくるようにと言われた。また牧場のほうへまわって馬を借りると、大急ぎで行って来て、帰りは牧場へはまわらず、馬に乗ったまま、まっすぐ帰宅した。みんなは出てしまった後だった。置き手紙がしてあった。
 『時間がないので、急いで出発する。牧場で馬車を借りて宇宙港まで行くつもりだ。もし間に合うようなら追いかけてくること。父』
 『突然でお別れもきちんとできず残念です。娘共々大変お世話になりました。エドワード』
 『本当にお世話になりましたね。行きも帰りも急でごめんなさいね。また、いつかお会いすることもあるでしょうから、がっかりしないでね。ドロシー(ナンシーの母)』
 『お世話になりました。お元気で。ナンシー』


 ハンスは馬にとび乗るとあわてて追いかけた。牧場の近くでナンシー達一行を見つけ、ハンスは馬を止めた五十メートルほど離れていた。一番後ろを歩いていたナンシーが振り返ってハンスの姿を見つけた。ナンシーはとたんに顔を輝かせて走りよってこようとした。
 ハンスは思った。・・・なんて言えばいいのかな・・・ナンシーはなんて言うだろう・・・やっぱりお互いに『サヨナラ』って言うんだろうな・・・ハンスは恐くなった。・・・『さよなら、元気でね』ってあっさり言われたら、それで決着が全てついて、もう、お別れなんだ・・・ハンスには『サヨナラ』の言葉が永遠に二人を引き離すような気がした。・・・僕はなんて言うだろう・・・ナンシーになんて言われるだろう・・・やっぱり『サヨナラ』・・・ハンスは恐くてたまらなくなって馬のきびすを返した。そしてナンシーをほったらかして一目散に逃げ出した。これがハンスの初恋とのお別れであった。そしてこのときのことはつらくほろ苦い思い出としてハンスの胸にずっと刻まれるのだった。


 ハンスは家に帰るとダイニングに、ただぼんやりと立っていた。そしてソファーのクッションの下に一週間以上前の新聞がはさんであるのを見つけ、何気なしに引っぱり出した。ハンスはあっと声を上げた。第一面にナンシーの父親の顔写真がのっていた。そしてハンスの目にいくつかの活字がとびこんできた。『デイビッド・サマー議員市民、問題発言』 『政権を批判?』 『政府への反逆意思の表明か?』
 「おじさんの顔、見たことがあったような気がしたのは、議員市民だからなんだ。・・・でも、どうして父さんと友達なんだろ。・・・反逆?・・・やっぱりこのことは、いつもの父さんの活動と関係あるんだろうか?」
 ハンスは頭が混乱してしまい、自分のベッドへ行くと何もかも忘れて眠った。


 日暮れ頃、大きな物音がして、ハンスは目を覚ました。ダイニングへ行って、ハンスは大声をあげた。父のエドが血まみれで倒れていたのだ。ハンスは真っ青になって父をベッドに運んだ。
 エドがふるえる声で言った。
 「ラジオを・・・。」
 「うん、わかったよ。」
ハンスは洋服ダンスの上のラジオをつけた。何の変哲もない歌番組を流していた。それをつけっぱなしにするのだ。大事な話をするときのいつもの用心であった。
 「今日こそ・・・は・話そう・・・。」
父の顔はすでに血の気が引いていた。青い唇が小刻みにふるえた。
 「父さん、いったいどうしたって言うの。」
 「私兵だ・・・うっ・・・。」
 「父さん。」
「メ・メモを・・・」
 「うん。」
 ハンスは父の机からメモ用紙とペンを取った。
「オー、ビー、アイ、ティー・・・うっ。」
 「何なのそれ」
エドはむせびながらとぎれとぎれに言った。
 「か・書くんだ。O・B・I・T・・・K・・・ワ・Y・・・1・・・2・7・5・・・7。」
「書いたよ、OBITKY12575だね、何なのこれは。」
エドはもう一度激しくむせいだ。そして言った。
 「マ、マイクロスパコン。」
 「わかった。マイクロスパコンのキイワードだね。」
 マイクロスパコンとは昔で言うスーパーコンピュータの携帯用のことである。
エドは激しくむせぶと小さな声で言った。
 「逃げるんだ。」
 「えっ。」
 「私が・・・し、死んだら・・・この星から・・・逃げろ。」
 「父さん、そんなこと言わないで。」
とハンスは叫んだ。エドは苦しそうに言った。
 「マ、マイク・・・。」
 「わかった、録音するんだね。」
 エドは宙へふるえる指をつきだし言った。
 「く、くらく」
 ハンスは後ろを振り返りライトを見た。
 「まぶしいんだね、レベルを落とすよ。」
 ハンスは照明を暗めに調整した。エドは人差し指をつきだしたまま激しく体をふるわすと絶唱した。
 「く・ら・く!」
 「父さん!」
 ラジオの音楽が申し合わせたかのように突然止み、臨時ニュースを告げた。
 『本日、夕刻、宇宙港でテロ事件があり一名の死者を出しました。死者の身元について当局の発表によれば議員市民デイビッド・サマー氏であることが確認されており、警備隊では今回の事件について氏の暗殺を目的としたものと断定しております。犯行の動機につきましては去る十日前の二十人議会における氏の発言に反感を持ってのものと推定されます。なお、氏の死去により議員市民権は長女のナンシー・サマー氏に相続され同氏が法定年齢に達するまで、権利は母親のサマー夫人に委任されることとなりました。サマー夫人とその令嬢の行方については、事件時、デイビッド氏といっしょだったこと以外、何もわかっておりません。なお、これで二十人議会の不在議員数は五名となりました。これで臨時ニュースを終わります。担当は・・・・』
 ラジオはまるで何もなかったかのようにリズミカルな音楽を鳴らし始めた。ハンスは黙ってラジオのスイッチを切った。


 ハンスは夜中までかかって父の亡きがらを埋葬し終えると、その場を離れた。そして草むらに寝転がると放心したように夜空を見つめていた。さびしい眺めだった。星でいっぱいの夜空が懐かしく思えた。銀河系の縁に位置するこの星の夜はこのシーズン、銀河の中心に背を向けていた。夜空にはぽつりぽつりと、まばらによその島宇宙が浮かんでいた。そんな光景が今の自分には似つかわしく思えた。自分たちを取り巻いている闇の力に対する怒りと勇気がハンスの心に静かにわき上がっていった。


第三章 七人のキャプテン・クラーク


 「父さん、僕、やるよ。」
とハンスは小声で言った。
 このKE恒星系の太陽が地平線から半分ほど顔をのぞかせていた。グリーンとオレンジの入り交じった、なじみ深い美しい光景がハンスの心を落ち着かせ、また力づけているようだった。ハンスは頬の涙をぬぐうと、立ち上がり、思った。もう決して涙は流さない。いつかまた悲しみに打ちひしがれることもあるだろう。でも、それを恐れても始まらない。いいことも、良くないことも、来るときには来るんだ。そうだ、『夜通し泣き明かしても、全ての人に翌日の朝が訪れる、朝は全てを変えてしまう可能性を持っている』って本に書いてあった。どんなときも決して諦めず精一杯生きよう。必ず朝に喜びが訪れると信じてそして、今、その朝が来たんだ。


 ハンスは朝日に背を向けると自分の影を映している我が家へ足を運んだ。そして家の中へ入った。ハンスはポケットのメモのことを思い出し、取り出してそれを手に地下室へと足を運んだ。地下室の機械類の中から大人の手ぐらいの大きさのマイクロスパコンを取り出すと父の言ったとおりにキイを打った。すぐさまディスプレイにデータが映し出された。
『連盟機密事項三十二号。KE2星に現在寄港中の連盟登録船。
 登録番号六十七。軽貨物宇宙船ブエナスノチエス号。乗務員の氏名及び年令、顔写真。
 エディー・マネー二等航宙士、二十五才、・・(顔写真)・・。
 マーシャル・クレンショウ一等航宙士、船長、五十一才、・・(顔写真)・・。
 到着日時、銀河暦九八七年九月十五日十一時。出航日時、同年同月二十九日十八時。
 次からの寄港星、KJ4・2星、LC3星、KZ2星、・・・(省略)・・・。
 登録番号二十一。高速連絡宇宙船プリンセス号。・・・(省略)・・・。
 なお、三日後に寄港予定の船がある。』
 「連盟って、たぶん・・・父さんの仲間達だな。そうかわかったぞ、これに乗れってことだな。どうすればいいんだろう。・・・人形売りだ。・・・きのうの今日だ、いないかも・・・そのときはそのときだ、きっと何とかなる。一つ目は今日出航じゃないか、急ごう。」
 ハンスは持っていくものを選んだ。マイクロスパコン、父のしていた指輪時計、ミニサーチライト、地下室の隅にリスのぬいぐるみを見つけた。
 「そうか、二つあったんだっけ。ナンシー大切にしてるかな。」
それも持っていくことにした。父の寝室に上がると、地下室の扉を念入りに閉めて、わからないようにした。そしてリュックサックとウエストバッグに詰めるものを集め始めた。そしてそれらのものを詰めている途中ではっと気づいた。
 「だめだ、こんなにたくさん背負ってたら、遠くへ行くって宣伝してるみたいだ。リュックはだめだな。ウエストバッグだけにしよう。・・・・・最後に食料は・・・水一ビンにクッキー一箱。後は、どうにかなる、どうにかするんだ。これで準備完了だ。・・・大変だ、忘れてた。キコやピコ達をどうしよう。」


 天井裏に飼っている、はつかねずみは全部で十匹いた。ハンスはしばらく考えた。
 「友達に頼もうか、そうだ。」
 ハンスはかごを抱えて表へ出ると、昨日返さずじまいだった馬を走らせた。町の隅にある木に馬をつなぐと走った。早朝の町は人気がなくこっそり動くには好都合だった。そして、いつもの議員市民の屋敷まで来ると、めだたないよう気をつけて裏へまわり、緑色の雨どいから二メートルの所の茂みに身を隠した。
 「みんな元気でね。これでもうお別れだけど『かわいそうなおじさん』の、いやジム・ピータリックさんの言うことをよく聞いていい子にしてるんだよ。」
 ハンスにはもう『かわいそうなおじさん』というのが父の方便にすぎないことはわかっていた。ジム・ピータリックという名の議員市民が父の秘密の仲間だと悟ったのである。それは薄々感づいていたことであった。
 「それじゃ、みんな元気でね。さようなら。」
そう言ってハンスはかごから10匹のはつかねずみを放した。はつかねずみ達は雨どいから続けざまに三階へ入っていった。
ハンスは馬を牧場にこっそり返した。牧場のおじさんは怒ってるだろうと思ったが。会えば事情を話す事になる。誰にもとばっちりがかからないよう黙って出発したかった。おじさんも父の墓を見れば、わかってくれるだろうと思った。
 ハンスは家に帰るとウエストバッグを装着し、父が小指にしていた指輪時計を親指にはめた。時刻は七時半だった。そして外に出て「しばらく留守にします」と張り紙をすると、山を下りた。


 ふもとの『ミス・ヒカルの小学校』のそばで少しなごりを惜しんでから、また歩き出した。
 「やあ、うろちょろハンス、どこに行くんだい?」
体の大きな力持ち、友達のマリオだった。ハンスの行っている小学校では、ある冒険小説の影響で名前の前に何か一言つけて呼ぶのが流行していた。ハンスは父の頼みでたびたび外出しているところを友達に見つかり「用もないのにうろちょろしてるんだ」と、いつも言っていたので『うろちょろ』と呼ばれていた。
「やあ、怪力マリオ、・・・・・。」
 「どうしたんだい、家出でもするのかい?」
 「うっ・・・。」
 「直感が的中したみたいだな。やっぱりそうか。で、どこへ行くんだい?」
「宇宙。行く先は宇宙船次第だ。」
 「正式に手続きして乗るのかい?」
 「まだ、わからない。」
 「しかし、どうしてなんだい?」
「それは・・・。話せないよ、ごめん。話して君たちに迷惑がかかるといけないから。ただね、父さんが死んじまったんだ。その遺言なんだよ。」
 「どうして死んだの。」
とマリオが叫んだ。
 ハンスはあわてて人差し指を口に当てて言った。
 「しっ、静かに。ごめんよ、話せないんだ。」
 「わかった。俺も男だ。これ以上、君にものを尋ねて困らせたりはするまい。」
男らしい立派なセリフだった。しかし、ハンスにはそれがマリオの大好きな冒険小説のヒーロー、キャプテン・クラークのセリフだとわかっていた。
 「僕に手伝えることはないかい?」
 「実はね、もし宇宙船に乗せてくれるかもしれない人に連絡が取れなかったら、どうすればいいか見当がつかないんだ。」
 「密航するしかないよ!で、それはいつわかる?」
 「一時間ちょっとで。」
 「そのときはみんなを集めていいかい?これは、二人だけじゃ手に負えないよ。みんなで作戦を練った方がいい。大丈夫、みんな、堅く口止めしておくから。そう、これは子供だけの秘密だ。ちくしょう、ゾクゾクしてきたぞ。キャプテン・クラークになったみたいだ。」
マリオはこのことを大変喜んでいるようだった。マリオにとってもこれは一大事だったのだ。ハンスはくすくす笑った。マリオが不審げに聞いた。
 「何がおかしいんだい?」
 「いや、嬉しいんだ。」
とハンスはとっさにごまかしたが、言ってみて本当に嬉しいことだと気づいた。
 「そうか、僕もだ。じゃあ、一時間後にここにみんなを集めておくよ。一人より大勢のほうが怪しまれないさ。なあに、大人達は子供が遊んでるとしか思わないよ。」
 「うん、そうだな。頼むよ。」
 「よし、早く行って来いよ。あ、もしかしてうまくいったら、このまま行っちまうのかい?」
「たぶんね。」
 「そうなることを祈ってるよ。それじゃ、・・・ひとときの別れは再会へといざなう。」
 「うん、ひとときの別れは再会へといざなう。」
これもキャプテン・クラークのセリフだった。別れてもまたあえる、という意味なのだが二人とも意味をよく知らずにただなんとなくカッコいいから使っているのだった。


 市場街に行くと思った通りいつもの場所に人形売りのテントはなかった。・・・やっぱり、人形売りは仮の姿だったんだな。・・・きのうの大事件の後であれば無理もなかった。ハンスはあの老人はもう戻らないと確信した。ハンスが宇宙船の乗組員と連絡を取る手段はもうなかった。そして小学校の近くに戻ってきた。一時間と十五分たっていた。


みんなは集まっていた。女の子が二人、男の子が四人、あと一人は旅行中で留守だった。
 マリオがハンスを見つけて声をかけた。
 「うろちょろハンス、だめだったのかい?」
 ハンスがうなずいた。
 「よし、じゃあ、密航だな。計画は立ててある。」
というマリオの言葉に続けてみんなが口々にわめき立て始めた。ハンスをほめる声、危険だという声、意味のない叫び声、様々だった。みんなにとっても生まれて初めての一大事だったのだ。そしてみんなそれぞれに何か品物を差し出しどうしても持って行けと言って聞かなかった。ハンスはみんなをなだめ静かにさせると、仲間を説得した。
「・・・・・というわけで、気楽な旅行と違うしそんなにいろいろ持って行くわけにはいかないんだ。もうバッグも一杯だし。」
 「でも、この薬ぐらいは入るでしょ。」
と女の子のひとりが言った。
 「のどの乾き止めと栄養補助剤よ。」
 「あ、食べ物と飲み物がなくなったときのだね。」
 「うん。」
 「助かるよ。それ位のなら入る。」
 チェンが・・・内気者チェンと呼ばれていた・・・金属の口のついた合成ゴムの袋をバッグから取り出して小声で言った。
 「これはだめかなあ、笑いガスだよ。つらい時や悲しい時、少し吸うとね、なごやかな気分になるんだ。たくさん吸うと危ないけど。」
 ハンスは悲しい顔をして首を横に振った。
 「だよね。」
とチェンが言った。
 アキラ・・・機械屋アキラと呼ばれていた・・・が言った。手には万能メカナイフを持っていた。
 「これは絶対持って行かなきゃだめだ。ガスバーナーになるしレーザーメスにもなるし・・・。」
 「でも、ちょっと大きいよ。」
 「だからさ、これはベルトですねにつけとくんだよ。ほら、ベルトも持ってきた。」
と言ってアキラはポケットから革のベルトをとり出した。
 「でも・・・。」
 「これはね、じいちゃんの形見なんだけど・・・。」
と言いながらマリオがポケットから小型拳銃を取り出した。みんなは息をのんで、それを見つめた。それは銀色でキラキラ光っていて、とてもイカしていた。
 「僕が十六才になったら、持ってていい事になってるんだ。だけど、どうせ僕は父ちゃんのあとをついで牧場のオヤジになるんだから、使わないと思うんだ。」
 ハンスはあわてて言った。
 「君の宝物なんだろ、いいよ、もったいない。」
 「だって牧場のオヤジにはこいつは似合わないよ。こいつだってきっと宇宙を駆け回りたがってるよ。君に持っててもらったほうが、こいつも幸せなんだ。」
 「・・・だいいち危険だし。危険が危険を呼ぶよ、きっと。」
 「『人の汚れた心から出るもの、これが人を汚す』って言葉がある。危険な拳銃だって使う人の心次第だよ。一人で宇宙にでるんだから何があるかわかんないよ。それに、ほら、僕もすねにつけるベルトを持ってきてるんだ。邪魔にはならないだろう。」
と言ってマリオはまたポケットに手をつっこむとベルトを出した。ハンスは困った顔をしてただ、マリオとアキラを見比べていた。マリオとアキラは声をそろえて言った。
 「頼む。持っていってくれ。持ってかないと承知しないぞ!」
 続けてマリオが言った。
 「でないと、ずっと後悔しそうなんだ。君がこれを持ってかなかったばかりに死にやしなかったかって。」
 ハンスは観念してそれを受け取ると、左右のすねに装着した。そして言った。
 「一生、恩に着る」
みんなは円陣を組んで、片手を重ね合って一人ずつ順番に同じ文句をくり返した。
 「今日のことは子供だけの秘密。子供の誇りにかけて私はこれを守る。」
 「今日のことは・・・・・・。」
「今日のことは・・・・・・。」
 ・・・・・・・・・・・・・・・
 これはマリオの提案だった。そしてこれも『キャプテン・クラーク』からの引用だった。みんなは自分が英雄になったような気がして非常に満足した。
 そして、みんなで密航計画を詳しく検討した。
 アキラが言った。
 「あとはたぶんマイクロスパコンが一つあれば大丈夫なんだ。誰か持ってこられるかい。」
 ハンスが言った。
 「あ、僕、持ってるよ。今、ここに。」
 それで計画は完璧と思われた。計画はこんな風だった。まず宇宙港管制局長を訪ねる。優等生のビリーが代表として話をする。・・・彼は成績優秀と論文で何度も表彰されて、新聞やテレビにも出たことのある、この星ではちょっとした有名人だった。子供の模範と見なされていた・・・。まさかこのビリーが密航の手引きをしようなどとは、大人なら誰も思わないはず・・・というのが一番のポイントだった。局長との話の内容は、学校のグループ学習で『健全な宇宙港のしくみ』というテーマでレポートを書くから見学させて欲しいというもの。そしてコンピューター室で機械屋のアキラがマイクロスパコンを接続して、目的の宇宙船に積み込まれる貨物のある場所とルートを調べる。あとはみんなで適当に暴れて、貨物にハンスを紛れ込ませようというのだ。
 マリオが言った。
 「完璧な計画だ。」
・・・どう考えても無茶苦茶な計画だった。


 子供達は締めくくりにもう一度誓いの儀式をしようと円陣を組んだ。
 「なんだか盛り上がってるみたいね。どうしたの。」
と言ったのはヒカル先生だった。
 子供達は黙って先生の顔を見た。
 「どうしたの。まあ、何か、大変な悪巧みの相談でもしてたのかしら。」
二人の女の子とチェンがびくっとした。
 ヒカル先生は恐い表情を作って言った。
 「そうなのね。どういうことか、先生に話してごらんなさい。」
 誰も何も言わなかった。
 「さあ、どうなの。チェン、話しなさい。ローラ。・・・アンナ。アキラ。・・・まあ、ずいぶん強情なのね。どうしたって言うの。あら、ハンス、あなた・・・。」
ヒカル先生はハンスの様子がいつもと違うのに気づいた。
 ビリーが言った。
 「先生、別になんでもありません。みんなで宇宙海賊ガリオごっこをやるので、今、誰がガリオをやるのか決めていたんです。」
 「まあ、海賊ごっこはいけないって言ったでしょう。・・・でも、それは本当の事かしら・・・。・・・ハンス。」
 マリオが言った。
 「先生、本当です。僕がキャプテン・クラークをやりたいと言ったのでもめてたんです。」
 ビリーが相づちをうった。
 「そうです。でも、僕は宇宙海賊ガリオを・・・。」
 「あなた達は黙ってて。先生はハンスに用があるの。・・・ハンス 、黙って、先生の目を見てごらんなさい。・・・そう。そうよ、先生はあなたを信じるわ。ハンス、あなたに、先生、あげたい言葉があるの。あのね、それはね・・・。『目を覚ましていなさい。男らしくありなさい。すべてのことを愛をもって行いなさい』・・・いい、このことを忘れてはだめよ。あら、あたし何を言ってるのかしら。変な先生ね。・・・みんないい子にしてるんですよ。」
そう言ってヒカル先生は自宅兼小学校に戻っていった。
 「相変わらず鋭い先生だなあ。」
とマリオが言った。
「歌が上手くてすごく美人だし・・・。」
とチェンが言った。
 「俺達の計画がわかったのかな。」
とアキラが言った。
 「そんなはずはないよ。でもハンスが一大決心をしてるのはわかったみたいだ。」
とビリーが言った。
 「いつもあたし達の表情をよく読んでるものね。」
とローラが言った。
 ハンスが言った。
 「でも、とってもいい先生だ。」
 みんな一斉にうなずいた。


 七人は宇宙港へ行った。ロビーの案内嬢に優等生のビリーが申し出ると、案内嬢は宇宙港管制局長室にいともあっさり案内してくれた。
 案内嬢は一言だけ注意を与えた。
 「局長はお忙しい方だから、用件は手短にしてくださいね。」
 中に入るように言われて入室すると局長が応接セットに座って待っていた。
 「やあやあ、よく来たね。君があのビリー君だね。うん、実に賢そうだ。いつも感心だね。うん、君のことは新聞で何度か見たよ。これまでに表彰状は何枚もらったね。将来は宇宙港に勤めるつもりはないかね。いや、はっはっは、これは冗談だがね。いや、ゴホン。その、頼み事があるそうだね。グループ学習の研究レポートとか聞いたが・・・。いや、感心、感心、実に感心。」
 「おい、この局長、一人で盛り上がってないか。」
とマリオがハンスにささやいた。
 「しっ。」
 ビリーが答えた。
 「はい局長さん。僕たちは今度の研究課題について宇宙港を選びました。それは、宇宙港がこの星の文化の中心であり、情報の発信源でもあり、また設備は最先端で、貿易など、多くの産業においても要であると思うからです。それで特にコンピューターによる管制がどのように行われるか。乗客や貨物はどのように流れ、管理されているか。危険防止にどのような配慮がなされているのか。また職員の方々はどのような仕事をされておられるのか。等について、実際にこの目で見ることによって書物などでは得られない、肌で感じた健全な宇宙港の姿というものをレポートしたい、と思っているのです。
 それから表彰状ですが、十五枚までは数えたのですが、今、何枚あるのか、ちょっと見当がつきません。」
 局長は感慨深げに何度もうなずきながら聞いていたが、ビリーの発言が終わるとさらに大きくうなずいてから行った。
 「非常に簡潔でわかりやすく、結構でした。君達の意図がよくのみこめました。私が先生だったなら、ためらわず、百点満点をあげたでしょう。さて、私はどうしたらいいのかな。うん、そうだ、こうしよう。君達に最終ゲートまでの通行許可証を書いてあげよう。最終ゲートのなか以外ならどこへでも入って良い、ということにしよう。それから係員は質問されたら丁寧に答えるようにメッセージを添えておこう。それで、いいかな。・・・別にここには見られて困るようなものはないからね。
 ただし、お手洗いは男の子は男子用、女の子は女子用にしかはいってはいけないよ、はっはっはっ。それから、もちろん、わかっているだろうけど、機械や書類、備品などには触らないようにね。まあビリー君が一緒なら安心だ。うん。」
局長はそう言うと奥へ入り、まもなく一枚の手書きのカードをビリーに渡した。


 七人は行動を開始した。ビリーが言った。
 「ちぇっ、大人ってのは勉強さえできればそれでいい子だと思ってるんだ。偏見だよ、そんなの。あの局長の態度、見たかい。子供に理解のある寛大な大人って見られたいんだぜ。どこへでも入っていいってのも、健全な宇宙港の姿を肌でって言われたからだよ。」
 ハンスが言った。
 「ただ僕は今度のことで、君が表彰状を全部取り上げられるようなことになりはしないか心配だよ。」
 「ちぇっ、表彰状なんかいくら持ってても、ちっともワクワクしないよ。」


 七人はまず、乗客のルートをたどってみたが、最終ゲートまで行かなくても、正規の乗客でないものが、宇宙船に乗り込むのが不可能なのはよくわかった。それで、やはり積み荷に紛れて、ということになった。貨物のゲートとどの倉庫のどの区画が宇宙船ブエナスノチエス号の割り当てか調べるのに、やはり管制コンピューター室へ行くべきだと少年達は結論した。
 もらった通行証を職員に見せながら管制コンピューター室へ行った。途中、ビリーは何度か局長にした『演説』をくり返さなければならなかった。管制コンピューター室の扉は専用のIDカードによって開くようになっていて、今まで通ったゲートと違って職員もついていなかった。七人はそこで地団駄を踏んだ。
 しかし、五分ほどして係員がやってきて少年達にここで何をしているのかと聞いた。そこでビリーは局長にもらった通行許可証を見せて例の演説をした。その係員が事なかれ主義なのが幸いした。
 係員は言った。
 「普通は部外者は入れないんだが、まあ、局長のお墨付きならいいだろう。」
子供だと思って見くびったのが彼の不幸だった。七人の子供達と一緒に中へ入った係員は後ろからマリオに殴られて簡単に気絶した。マリオは廊下に見張りに出た。しばらく機械屋のアキラは装置類を眺めていたが、残念そうに言った。
 「どうも、これが目当ての情報バンクらしいんだけど、配線はこのキャビネットの中なんだよ。ほら鍵がかかってるだろ。」
 「このおじさん、鍵もってないかな。」
とハンスが言った。
 「だめだよ、修理する時しか開けないだろうから、普段はもってないよ。」
とアキラが言い、チェンがひととおり探してみて言った。
 「ないよ。言うとおりだ。」
ハンスがズボンのすそをめくり万能メカナイフを出して言った。
 「これでこじ開けられないかな。」
 「それだ。」
 二人とも警報ブザーのことをすっかり忘れていた。しかし、それはどうした事か、鳴らなかった。あり得ないはずの幸運だった。しかし子供達はそれが当然なのだと思っていた。
 アキラは万能メカナイフのレーザーメス機能を使い、ふたをこじ開けると、また、しばらく中を見つめてから言った。
 「うん、こいつの仕組みはわかった。ここが田舎の星の宇宙港でよかったよ。コンピューターもけっこう旧式なんだ。ぴったしのコネクター家に持ってるんだけど、持ってきてないから、少し時間かかるよ。マイクロスパコン出して。」
 ハンスがバッグからマイクロスパコンを取り出すとアキラはポケットからたくさんのコードを出して器用に接続しはじめた。
 その時マリオがとびこんできて言った。
 「銃を持った職員が来る。」
 ハンスが言った。
 「同僚の帰りが遅いんで不審に思ったんだ。」
みんな蒼くなって顔を見合わせた。
 「君達、そこで何をしているんだ。」
職員は中央にいるアキラに銃口を向けた。チェンの持っている合成ゴムの袋なんかは気にもとめなかった。シューッ。職員は銃を落とした。そして苦しそうにもがきながら笑いはじめた。転がって身をよじって笑い続けた。マリオは気の毒に思い気絶させてやった。
 「何をしたんだい。」
とマリオが聞いた。チェンがぼそぼそと答えた。
 「笑いガスだよ。一度にたくさんかけたから・・・。」
 「なあ、前から聞こうと思ってたんだけど、どうしてそんなの持ってるんだい。」
とマリオが聞いた。ハンスがかわりに答えた。
 「僕にくれようとしたんだよね。」
 「いや、なぜ、手に入ったかってこと。」
とマリオが重ねて聞き、チェンは答えた。
 「ほら、うちの父さん医者だろ。これ麻酔用なんだ、ほんとは。」
 「よくやったよ。本当に。」
とマリオが言った。アキラが嬉しそうに言った。
 「ほら、パスワードが通ったよ。」
そしてなにやらマイクロスパコンを操作して言った。
 「北六番ゲートが関係者の出入り口で、倉庫は十一番の第六区画だ。長居は無用だよ。はやく行こう。」
 また通行証を見せながら七人は北六番ゲートへ向かった。


 そこは廊下が続いているだけだったが、天井から床まで十センチ間隔で鋼鉄のパイプが横にはしっていた。
 「だめだ、これもIDカード式だよ。」
ビリーは悔しそうに言った。
 「ちぇっ、ここまで来て、こいつめっ。」
とマリオがパイプを蹴っとばすと、それが十センチくらい横にずれた。そして左の端が十センチずつ開いた。
 「あれ、どうなってんの。壊れてるよ、こいつ。みんな、もっと蹴っとばすんだ。」
 みんなで一生懸命蹴っているとパイプは徐々に横にすべり、ゆうに子供一人通れるだけ開いた。
 ハンスと六人はここで別れを告げた。女の子達は泣きだし、チェンももらい泣きした。そしてハンスは握手責めにあった。七人の誰もがイカシタ別れの言葉を思いつかず、ただ、さよなら、元気でね、また会おうと口々にくり返した。マリオが、
 「ハンスが廊下の角を曲がって消えるまで、ここで見送る。」
と言ったので、ハンスはそうすることにした。今まさにハンスが角を曲がろうとした時、マリオが叫んだ。
 「ハンス、私は生涯、君のことを忘れることはないだろう。」
棒読みだった。やっと別れのセリフを一つ思い出したのだ。マリオは間に合って良かった、と思った。残りの五人が声をそろえて真似をした。
 「ハンス、私は生涯、君のことを忘れることはないだろう。」
 ハンスが言った。
 「諸君、私は生涯、君達のことを忘れることはないだろう。」
 ハンスは注意深く、人目につかないよう移動しながら十一番倉庫に入った。そして第六区画の荷物の中で、自分が隠れられそうな大きさの箱を見つけると万能メカナイフで器用にふたを開けて、中身を他の宇宙船の荷物の間に隠した。そしてその箱の中へ入り込んだ。ハンスはこんなに簡単に事が運んだことを本当に不思議に思った。指輪時計を見ると十三時十二分だった。ハンスはまだ、自分が恐ろしいほどの幸運に恵まれていたことを知らなかった。
 ハンスの姿が消えても、六人はしばらくの間、ただ呆然とそこに立ちつくしていた。六人はみんな自分が英雄になったような気分にひたりきっていたのだ。


第四章 宇宙へ


 「起きるんだ、ぼうや。起きろ。」
 体を揺すられてハンスは目を覚ました。いつのまにか眠ってしまったのだ。・・・しまった、見つかったんだ・・・そう思って、あわててズボンの裾に手を入れた。ハンスを起こした、その見知らぬ青年はすばやくハンスの右腕をつかんだ。
 「何を出すつもりだい、ぼうや。さあ、ゆっくり手を出してごらん。」
ズボンの裾からキラキラ光った銀色の小型拳銃が顔をのぞかせた。
 「ヒュー、まさかとは思ったが、まったく無鉄砲な子供だ・・・いや、鉄砲はこの通りあるな。無茶な、と言うべきなんだろうな。ははは・・・ぼうや、お手柔らかに頼むぜ。」
 「僕はどうしても、あの宇宙船、ブエナスノチエスに乗らなきゃいけないんだ。見逃してくれ。」
 「おっと、早とちりはいけないぜ、ぼうや。ここはもう、船の中さ。」
 「えっ、それじゃあ・・・。」
ハンスは辺りを見まわした。港の倉庫より、はるかに狭かった。ちょうど、ハンスの部屋四つ分くらいの広さだった。つやのないグレーの合成樹脂の床と壁を、天井と一方の壁の小さな非常灯の黄色い光が淡く照らしていて、整然と並んだ金網の棚と所々突き出た貨物を固定するための金属製のマジックアームが鈍い光を放っていた。
 「ぼうや、俺達は仲間さ。二つの意味でね。」
 「仲間?」
 「ああ、そうさ。最初の意味は、君、他でもない、この僕も正式の乗客じゃない。」
 「えっ、じゃ、おじさんも・・・密航者?」
ハンスは急に声を小さくした。
 「その、おじさんての、よしてくれるかな、ぼうや。」
 「じゃ、そのぼうやってのもやめて欲しいな。」 
「こいつは一本取られたな。よし取引成立だ。おじさんとぼうやは、なしだ。・・・ただね、君と僕はちょっと違うんだな。僕の方はこの船の乗組員には話を通してあるからね。つまり宇宙港に対してだけ密航者ってことさ。君は船と港と両方に対して密航者だろう。あとでこの船への搭乗手続きをしてやるよ。」
ハンスは黙って聞いている。青年は話を続けた。
 「君はね、僕がいなかったら、あの世行きだったんだぜ。」
 「えっ。」
 「君がこの船の荷物に潜り込むまでの道のりがね、えらく簡単だったとおもわないかい?」
 「言われてみれば、何か妙だった。」
「そうだろう。君が密航しようとしたときは、僕が密航するために、ここの港の警備システムをだめにしてやった直後だったのさ。だから君は格納庫までわりとスムーズに通れた。そして格納庫に潜んだあと宇宙船の貨物室まで運ばれたままでいたら、宇宙船の大気圏離脱の圧力でつぶされていただろうね。僕が計器にでているこの船の総重量の変化に気づいたから君は助かったんだよ。」
 ハンスはあまりのことにショックを受けてやっとのことで、一言礼を言った。
 「命を助けてくださってありがとうございました。」
 「僕に対してより、君はその恐ろしい程の幸運に感謝すべきだな。しかし、本当に無茶な子供だよ、君は。でも、これからは子供のままの気持ちではいられなくなるだろうけどね。まあ、君のお父さんには昔えらく世話になったし、僕にとってはささやかな恩返しだよ。」
「あれ?父さんと知り合いなんですか?」
 「そのへんの話はあとでしよう。ひとまず、上の乗組員達の所へ行こう。君が誰かは、もう僕が話しておいたよ。ハンスだったね。」
と彼は壁の太いパイプの幅の狭い梯子を昇りながら行った。
 「えっ、僕のことも知ってるんですか?」
 「話はあとあと。出港まで一時間もない。さあ、ついておいで。」
 青年は梯子の一番上にあるキイに触れて天井のドアを開けた。ドアは心地よい静かな機械音とともに開いた。ハンスはその天井のドアの大きさを不思議に思って質問した。
 「天井の出入り口がどうしてこんなに大きい必要があるんですか?」
 「通るときに頭がぶつからないようにさ。・・・ああ、宇宙は初めてだったね。宇宙へでると人工重力でこっちが下になるのさ。」
そう言って青年は壁をたたいた。
 「そう考えると、このサイズは普通だろ。」
 ハンスはなるほどと思った。そう考えると、貨物室の中がどこか普通の倉庫などとは違っていることも納得がいった。ハンスはしばし静止して考えた。
 (これが、こうなって・・・。)
ドアのむこうも普通と違っていたからだ。そこは廊下とわかった。壁と床は爽やかなクリーム色をした合成樹脂だった。貨物室からのドアのまわりが大人の足幅ずつの足場になっていた。そして、すみに梯子のある壁が本来の床とわかった。その壁に接する左右の壁には一番下にドアが横向きについていた。
 「その右の扉は寝室。左のはリビングだ。あとでゆっくり説明するから早くついて来るんだ。」
 ハンスは黙って従い、壁の梯子を昇った。
 さっきと同じ型のドアをあと二つ通ると、天井と左右の壁が機械でびっしり埋まった部屋へついた。パイロット・ルームだ。梯子のある壁には天井を向いた大きな椅子が六個、左右に並んで取り付けてあった。
 「やあ、腕白少年は目を覚ましたようだな。この船に乗ったらからには、子供だからって甘く見てはもらえないぜ、覚悟しときなよ。」
と、一番上の椅子から顔を出した若い男がハスキーな声で言い、ハンスを連れてきた青年が言った。
 「連れて来ました。船長、ご指示を。」
若い男の左側のシートから、初老の痩せた男が横顔を見せて言った。
 「その子の搭乗手続きを頼む。」
「はい。ハンス君のIDはと・・・。」
と言って青年はハンスの手を見た。そして言った。
「あるある。親指の指輪、そいつをちょっと貸してくれ。」
 「はい、これをどうするんですか?」
 「君の身元を確認するのさ。正式な名前なんかも含めてね。」
 「正式な名前?」
 「いいから、いいから。」
 ハンスが指輪を渡すと、青年はそれを横の壁の機械にさしこんだ。その横のディスプレイになにやら文字が出た。青年が言った。
 「二人分のIDが入ってるんだな。通称エド・コールマン。正式名ヒューイ・クラーク。それと・・・通称ハンス・コールマン。正式名マイク・クラーク。へえー、君らはあのクラーク家なんだ。驚いたな。ほら、あの、キャプテン・クラークさ。知ってるだろう。なるほど、君はキャプテン・クラークのひい孫なんだとよ。」
 「えっ、僕が・・・。」
ハンスは驚きのあまり声も出なかった。青年は続けて言った。
 「何だって、KE恒星系二十人議会議員市民正統後継者。エドさんって議員市民だったんだ。ああ、思い出した。ヒューイ・クラークっていったらロシュメルといつも対立してた人で、たしか反逆罪の容疑で逮捕されかけて五年前にKE5星から姿をけしたんだったよ。ふうん、このKE2星に来てたんだ。君はマイク・クラークって名をお父さんから聞いたことはないかい?」
 「あっ、そう言えば最後に『マ・イ・ク、く・ら・く』って・・・。」
「最後ってことは・・・。」
 そう青年がいったとき、船長が二人に声をかけた。
 「もうすぐ離陸するから、そこのシートに横になって、きちんと体を固定してくれ。エディ、その子に例の薬を。」
 「はい、船長。君、こいつを飲んどいてくれ。心配はいらねえよ。5Gに耐えられるように、少し間隔を麻痺させるだけさ。5Gってのは地球の重力の五倍ってことさ。まあ、一種の鎮痛剤だな。夢うつつになっていい気分になるぜ。」
そう言って若い男・・・エディは小さなパックを投げた。それは落下して下の扉にぶち当たった。
 「おっと、済まない。こんな姿勢でいるもんだから、つい無重量のつもりで投げちまった。あんたらも、頭に血が昇るのを感じるかもしれんが、なあに一時間ほどの辛抱さ。」
そう言ってからエディは口笛を吹き始めた。
 「エディさん、その曲、なんていう曲ですか。父さんの秘密の曲だったんです。」
 「ああ、なるほどね。これは銀河辺境紳士連盟の連盟歌第三号ってやつさ。」
 「銀河辺境紳士連盟?それで人前で歌ってはいけなかったんですね。」
 「知ってる奴が聞けば間違いなく、身分がばれるな。それより、その薬、飲んどいてくれよ。」
 ハンスはそのパックをひろうとシートについた。そしてそのパックの薬を飲んだ。すぐにさっきの青年が話しかけてきた。
 「君・・・ハンス・・・マイクか今は。自己紹介が遅れたね。僕はジェラード・スマート。職業は・・・内緒なんだが・・・秘密工作員。表向きは・・・。」
 「どうして僕の名前を知ってたんですか?」
 「今までに何度も会っているからさ。」
 「えっ?」
 「わからないだろうな。この声に聞き覚えはないかい?・・・ぼうや、この人形なんかはどうだい。」
 「人形屋のおじいさん?」
 「あれは僕の変装だったのさ。あれは肌に悪くてね。薬品で皮膚を老化したようにみせるものだから・・・。でね、君と同じように連絡員をしていたわけだが、きのうの事件で連絡体制が崩壊したんで、本部へひとまず戻って建て直しを計ることにしたんだよ。君のお父さんとは、もちろん仲間さ。」
 「父さんは死にました。」
「ああ、そうじゃないかとは思ったんだが・・・非常に残念なことだ。・・・すごく頭のきれる、心ある人だったが・・・。亡くなったって事は正統後継者の君が、今は議員市民の有資格者なんだな。キャプテン・クラークのひい孫でKE恒星系二十人議会議員市民。これからは、しっかりとその責任への自覚をもってくれよ。君の双肩にこの世界の未来がかかっているといっても過言ではない。」
 ハンスはしばらく考え込んで大きくうなずいた。
 船長が言った。
 「すまんが、君達。しばらく、発進するまで黙っていてくれ。今から管制室との交信を始める。ここにいないはずの君達の声がもし万一聞こえたらまずいんでな。」
 「了解。」
とジェラードが言った。
 ハンスはただじっとして、船長とエディの業務連絡を聞き流すしかなかったが、心の中は一つのことに夢中だった。
 宇宙。
 父親が死んだばかりだったにもかかわらずハンスの心はその未知なる空間への期待と不安で一杯だった。可能性と危険がワンセットの世界。それは、子供でも何らかの責任を背負わなければならない世界。けれども自分の道を選択する権利が与えられる世界。それは大人への入口である。けれども、ここ数日の出来事で、その入口をくぐる準備はできている。
 ハンスはひとつ大きく息を吸い込んだ。まさに、この世界の未来はこの少年の双肩にかかっているのである。


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