地区規律保全センター、そこの正面玄関の横にはたくさんのビラが並んでいる。すべて指名手配犯の顔写真と名前である。三日前そのビラが一度に四枚も消えた。
その正面玄関から、やつれた一人の男がでてきた。青ざめて目の下にクマを作っているその男はハイエナ・ジョーであった。
彼はここ三日ほど眠れず、食も進まなかったのだ。手には指名手配犯の資料を持っている。
これからまた、いつものようにその犯人について調べてまわって、そしていつも通り事を運び、賞金に預かろうというのである。
しかし、ジョーの表情はいつもの資料をもらったときと違って、とても虚ろである。
この三日間というもの、眠りもせずに、この職を辞めることばかり考えていた。
相手を殺さねば自分が危ないというこの職が、悪人を減らすと言う大義名分を掲げてはいても実は莫大な賞金が目当てであるこの職が、とてもイヤラシク感じられた。それと三日前に初めて殺さずに犯人を捕らえたことの小気味良さ、それも原因していよう。
マークが正義感に燃えて、薄給ではあっても、信念を持ちそれに沿って生きているマークがとても羨ましく思えた。
しかし、今、この星で彼に出来る仕事はとても少なかった。彼には畑とつき合って人々へ食糧を供給する職しか思い浮かばなかった。
作物には肥料が必要だ。化学肥料を作り出す機械はまだ制作に着手すらされていなかった。その肥料の出所が彼にはとてもやりきれなかったのである。
今の賞金稼ぎを辞めるにはとても偉大な決意を必要としたのである。
その決意をせずに結論を出したと言うことが自ずと賞金稼ぎを続けることを意味した。
センターから出た彼は側につないであった愛馬にまたがると、そのまま近くのレストランに向かった。昼をまわってからもう二時間あまりになるのだが、ここ数日の食欲不振がまだ続いていたために食事をとっていなかった。しかし、いったん仕事をする決意をした以上は、無理にでも食事をとる、そう言った意志の強さを彼は持っていた。二、三分程行くと一軒の飲食店が目に入った。よく磨かれた窓とその下の花、中は小さくて沢山の部分照明、合成ウッドによる素朴な椅子と丸テーブル。
「素朴にしゃれた店だな。ここにするか」そう言った後、彼は一瞬表情をきつくすると笑った。笑ったと言っても、例の口が微かに動くだけの冷笑である。
そして言った。
「殺人鬼のくせに」
この些細な二つの発言は彼にとって実に久しぶりのことだった。
しゃれたとか美しいとか言ったのも感じたのも、自分を批判するような目を持ったのも十年ぶりのことだった。しかし、彼はそんなことには気づきもしないで店に入った。うつろな表情で。
店にはいると彼はカウンターの一番奥の席に腰掛けた。
「お客さん、なんにします?」小柄な中年の店の主が愛想良くも悪くもなく尋ねた。
ここで働かしてくれないだろうか?そう言いたかったが、どうせ、経歴が露見するだろうと思いやめにした。彼の賞金稼ぎとしての知名度はかなりのものなのだ。
「一番うまいものにしてくれ」
主はこんなものは如何でしょうとある品名を言い説明した。彼は黙って頷いた。そして、いつもの癖で店の中を観察した。これは職業柄仕方ないことかもしれなかった。
時間が時間なこともあり、客はそう多くはない。
手前から二番目の丸テーブルに老夫婦が一組スパゲッティか何かのパスタを食べている。男の方はタートルネックのセーターにジーンズのズボン。女の方はレース地の襟だけがしゃれた平凡な格好。
ほぼ中央の丸テーブルもカップルで二十代なかばの男女。男は水色のスウェット・スーツに、ベストとブーツだけのウエスタン調、資金が足りないのか。女は連れよりももう少し若い感じで、連れとお揃いのスウェット・スーツに腰のピンクの布を巻いている。その隣のテーブルでは十歳くらいの男の子が一人で食事をしている。半袖半ズボンの子供向けスウェット・スーツである。
カウンターの反対側の隅には二十代後半の男。青いカッターシャツに青いジーンズ紺のベストで長髪。紺のカウボーイハットをカウンターに置いている。この星では平凡なウエスタンかぶれの一人であろう。この男はジョーと視線が合うと慌てて目をそらした。
「お待たせしました」主人が多くも少なくもない料理を出した。
「あの男の子は一人なのか?」何気なく尋ねた。
「はあ、あのお子さんは両親が共稼ぎで、私と縁続きなこともあって、時々こうやって食事に来ます。おそらく学校の帰りでしょうよ。」
「あの青ずくめの男は?」なんとなく気になって聞いてみた。
「初めてのお客さんで存じ上げません。」
「まあ、俺にとってはどうでもいいことだな。」
「そうでしょう。」
ジョーは出された料理を無理矢理腹に詰め込むと店を後にした。
ジョーが規律保全センターのある町を離れてから小一時間ほど経った。彼がこの店を離れたのは賞金稼ぎの次の標的が隣町に三年ほど住んでいた、というので調査するためだった。今、彼の身に過去の事件の調査漏れという些細なミスによる重大な結果が近づいていた。
一つの影がつかず離れずハイエナ・ジョーの後を追っているのだ。
その影の主はかつてジョーが仕事の対象とした犯罪者の義弟であった。その犯罪者はある土地に三ヶ月ほどいたことがあるのだが、ジョーはたかが三ヶ月では何もあるまいと高をくくって調査しなかったのだ。ところが、何もないどころかたった三ヶ月で義兄弟の契りを結ぶほどの信頼関係にあった者がいたというわけだ。この時代この星では「義兄弟の契り」は暗黒世界特有の習わしとなっているので、この「義弟」がジョーにとって好ましからざる者であることは容易に想像できる。とすると、これは重大なミスだと言えることになる。ジョーはこの影の主の存在すら全く知らないのである。
高い崖を苦もなくさっさと降りると、わりと広い平地を一直線に馬を操り進んだ。
さっきの崖の上からここはまったく格好のターゲットとなるな、などと考えながら。
すると、だしぬけに後方から銃声がした。右耳のすぐ側で弾丸が風を切った。狙いの正確さから言ってライフルだ。続いて二発目の銃声。馬が鋭くいなないて倒れるとしばらくもがいて動かなくなった。馬の動静を眺めていたジョーの左肩に激痛が走った。ジョーは辺りを転げ回った。しかし転げ回るのは激痛のためではなくたやすいターゲットにならないためだ。
銃声は容赦なく続き、次々とジョーの周囲で砂塵を上げた。
ジョーにとって、こんな危機は四度目であったが、初めて死にたくない、そう思った。
こんな賞金稼ぎのまま終わりたくない。もっと人間らしく生きれば良かった。地味でも暖かく生きたかった。転げ回りながら、そう考えていると涙が浮かんできた。マークの顔が浮かび「せっかく俺が考え直すきっかけを与えたと言うのに」と言っているようだった。人を何人も殺した自分に相応しい最期かもしれないと思った。じたばたしても無駄だ、そう思ったが、まだ生への未練の強いジョーであった。
右足も使い物にならなくなり、右っ腹から動くたびに血が噴き出した。
気づくのが少し遅かったんだ。そう思うとなぜか大声で笑いたくなった。
崖の上の男もジョーも必死だった。
二人とも必死だったから、近づくジェット噴射の轟音に気づかなかったのは無理もない。
ジョーが自分の生存をほぼ諦め、崖の上の男が自分の復讐の完了を確信したときにパラライズ・ガンの閃光と共に形勢は逆転した。
マークだ。
マークが来たことがジョーには信じられなかった。青い服の男も同様だった。復讐鬼は後ろを振り返る暇もなくマークにパラライズ・ガンで狙撃されて気絶してしまった。
マークはこの復讐鬼のことを知っていてジョーに教えようとしていたのだが運悪くすれ違いが続いていたのだ。それで、他の事件の捜査中にたまたまジョーと復讐鬼が大渓谷へ向かったと知り追いかけてきたのだ。
「間に合って良かった。僕がまごまごしている間にあなたはとんでもないことになるところだった。」そうマークが言うと、ジョーは正直に言った。
「俺はもう死んだと思ったぜ。この通り歩けないから、搬送の方よろしく頼む」
「もしかすると、あなたはリソーサーに載せられるのは初めてですか?」
「そうだな、死人が乗る物って言う印象がある。」
「それはあなたが賞金のかかった犯罪者を殺してきたからですね。僕なんかの場合はパラライズ・ガンがあるから死人を運ぶことはあまりないですよ。」
そうしてジョーはハンスの搬送機リソーサーに犯人と共にくくりつけられて大空へと飛び立った。
ジョーの気持ちには変化が起きていた。一度死んだと思ったら、こだわったいたことが吹っ切れたのだ。自分の生き方を変えるチャンスなのだ、と思えるようにさえ、なっているジョーなのであった。
ジョーは少し先の自分を想像していた。役所で肩にクワをかついで住民登録をしている。職業欄には「農業」と書いている。名前を書き込んでいる。それは本名だ。
「ジョン・ブラウンか、久しぶりだな」そう言ってジョーは笑った。笑ったと言っても、例の口が微かに動くだけの冷笑ではない。本当に嬉しそうに優しい笑顔を10年ぶりに顔に浮かべたジョーなのであった。
これからの自分の運命が大きく動くことはまだ知らないのである。
辺境紳士連盟シリーズ
第二部「笑顔は優しく」