ときめき芽生える頃(一)


はじめに
 この作品は作品「心の宝物」の後日談になります。しかし、どちらの作品も話としては完結しています。テーマも各々まったく違う内容です。こちらの作品は恋愛小説になっています。小学六年生の村山和樹の初恋のお話です。

  


 「村山君、他校の女子が校門の所で待ってるわよ。」
と言ったのは村山和樹のクラスメイトの市原康子でした。背は低いけれど明るい性格と巧みなジョークでクラスの男子に人気のある康子は和樹にウインクして見せました。
 和樹は小学六年生、どんな子かというと坊ちゃん刈りで背が高く一重瞼でどちらかと言えばハンサムな方です。大人しくて真面目だけど時々ジョークも言う面もあります。スポーツはソフトボールの時にはよくヒットを打つし、足が遅い方なわりに器用なので、プロ野球の真似をしてやり始めたセイフティバントが得意技です。クラスではよく本を読んでいると言う印象があり、女の子の間には秘かにファンもいましたが少し近寄りがたい雰囲気があるので、和樹は気がついていませんでした。
 康子に言われて和樹は驚きました。他校の女の子なんて今までに自分に会いに来たことはないし、他の人にだって会いに来たことはないからです。一体誰だろう、と和樹は首を傾げました。
 「村山君にも春が来たかなあ。村山ファンががっかりするかなあ。この際、他校の女子を彼女にしたら?」
 「そんなんじゃないよ、きっと」
 教室の隅でうらめしそうに和樹を観ている倉沢良子の視線には気がつくはずもない和樹なのです。良子は地味な子でとても好きなことを意志表示するような子ではないのです。昔から和樹はこんな地味な子たちの間では人気がありました。教室には午後の日差しが熱く差し込んでいました。壁に貼られた習字の半紙が風にパタパタと揺れていました。和樹は黒板を拭いているクラス委員長のことを気にしながら教室をそっと抜け出しました。
 今は7月15日。もうすぐ夏休みです。校門の所へ和樹が行くと三人の女の子が待っていました。制服から私立の女子校の四つ葉学園小等部の人たちだとわかりました。三人の子たちはケラケラと笑っています。その中の三つ編みに黒縁眼鏡の子が興味津々の顔をして言いました。
 「来た来た、きゃあ、あんたが村山和樹?」
 和樹は不審な気持ちを思い切り顔に出して答えました。
 「そうだよ。僕が村山和樹。」
 黒縁眼鏡の子は一瞬考え込んでから値踏みするように言いました。
 「ふーん、まあまあね。結構趣味いいじゃない。」
 和樹は益々不審な気持ちになって、眉間にしわを寄せて尋ねました。
 「趣味って何の?」
 ショートカットの女の子が驚いたような顔をして呟きました。
 「あ、やっぱりウブなんだあ。」
和樹も驚いたような顔になりました。
 「ウブって?」
三人はまたケラケラと笑い始めて
 「きゃはは、ウブねえ、美都子が結構かっこいいって言ってたよ。」
 和樹は美都子って誰だろう?と思いました。一年生の時にクラスにいた人と長崎県にいる友達しか頭に浮かびませんでした。
 「美都子?君達は四つ葉学園の人たちだよね。」
 三人は一斉に笑いやんで
 「あ、やばーい、あんまりばれたら、美都子に絶交されるよ。」
 和樹は思いきって疑問を相手にぶつけてみることにしました。
 「美都子って人、名字はなんて言うの?」
 黒縁眼鏡の子は本当に申し訳なさそうにしました。
 「ごめんねー、美都子に内緒で来たから言えないんだー。」
 和樹は呆気にとられてしまいました。突然の嵐のような女の子達の訪問は波乱の夏休みの前触れだったのです。その美都子という人が誰なのかもうすぐわかるのでした。
 「村山君」
 呼ばれて和樹が振り返ると倉沢良子がいました。
 「ホームルーム始まっちゃうよ。」
 和樹は良子のことはあまり気にとめずに
 「ありがとう」
とだけ言って教室へ引き返しました。和樹はこういう風に女性に親切にされることに慣れてしまっているのです。良子がつらい思いをしていることなんてまったく気がつかない鈍感な和樹なのです。実は少し冷たい面があるのですがクラスの女の子にはそこがクールに映って良かったりするのでしょう。


 そして7月19日。和樹は恐る恐る家の玄関をくぐりました。和樹の母が台所から大声で呼びました。
 「和樹ー、帰ってきたー?通知表見せなさーい。」
 和樹は成績がいつもあまりよくないのです。学生時代自分は優秀だった和樹の母には許せないことのようでした。和樹の母は通知表をひったくるように取り上げて
 「あんた、またこんな成績とってきて、全然勉強してないからよ。あんたはね知能指数がクラスで一番なくらいに本当は頭がいいんだからちゃんと勉強すれば一番の成績だって取れるはずよ。夏休みの宿題ちゃんとやるのよ。」
 和樹は母に通知票のことで、こってり絞られてヘトヘトでした。和樹にとって知能検査で一番だったことは不幸の始まりでしかなかったのでした。担任の先生にそれを聞いた母は放任主義をあっさり投げ出して勉強のことでガミガミ言うようになったのです。叱られ終わって和樹が一休みしていると、また母から大声で呼ばれました。
 「和樹ー、星鹿のお友達がいらしたわよー」
 玄関から大声で呼ばれて和樹が玄関に行くと
 「よう、和樹、俺、遊びに来ちゃったよ。しばらく泊まらしてくんない?」
と相変わらず男っぽい口調の乃里子がグレーのTシャツと紺のジーンズと大きな真っ赤なリュックサックとプロ野球の帽子で相変わらず服装に似合わない綺麗な顔をして玄関に立っていました。去年は和樹より背が高かったのですが、今年は和樹の方がだいぶ高くなっていました。
 「あ、乃里子ちゃん。ひさしぶりだね、どうして、いきなりこっちに来たの。」
 乃里子は黙って微笑んでいました。和樹のお母さんが口を挟みました。
 「まあまあ、星鹿からわざわざ和樹を訪ねて来てくれたの?いいわよ、しばらく泊まっていきなさい。」
 乃里子はぺこりとお辞儀をして言いました。
 「ありがとうございます。しばらくお世話になります。」
 横で和樹は顔を赤くしました。まさか同い年の女の子の乃里子が自分の家に泊まるなんて思ってもみなかったのです。和樹の母はうんうんと頷きながら答えました。
 「うちはね、大工の棟梁の家だから、お弟子さん達とかお手伝いさんとか住んでて、大所帯だから一人くらい増えてもどうってことないのよ。」
 いつの間に来たのか和樹の妹の直美が和樹の横に来ていました。乃里子は直美に向かって手を振りつつ
 「はい、ありがとうございます。去年和樹君がそう言ってたので、お言葉に甘えようと思って来ました。へへへ、和樹、今日が終業式なのに、もう今日来ちゃったよ」
 直美が興味津々の顔を突き出すようにして乃里子に話しかけました。
 「お兄ちゃんのお友達なの?」
 乃里子は暖かく微笑んで答えました。
 「そうだよ。俺ね、星鹿の阿部乃里子だよ。」
 直美はとても驚いて一つ一つ言葉を確認するように言いました。
 「男の人の言葉を使うの?」
 乃里子は笑い出して
 「きゃはは、みんなね、最初は驚くんだよ。俺はね、女らしいの似合わないんだよ。君はなんて名前なんだい?」
と和樹の方はほったらかしで直美にとても優しく尋ねました。
 「あたし、直美。仲良くしてね。乃里子お姉ちゃん。あ、お兄ちゃんって呼ばれた方がいいの?」
乃里子がとても驚いて
 「まさか、そこまでしなくていいよ。お姉ちゃんでいいよ。」
と言うと直美は胸に手を当てほっとしたように言いました。
 「よかったあ、あたし、お姉ちゃんが欲しいんだあ。」
 和樹はとても驚きました。去年八月末におじの朝一が亡くなる直前に二週間、和樹は長崎県の星鹿町に遊びに行ったのですが乃里子は、その時の友達なのです。まさか今年自分を訪ねて来るなんて思ってもみなかったのでした。
 乃里子はパタパタと手を振って和樹に言いました。
 「この辺は熱いね。そこら中エアコンの室外機だらけなんだもん。田舎の数倍は熱いよ。美都子もこんな所で苦労してるんだろうなあ。」
 和樹はまたまた驚いて乃里子に尋ねました。
 「美都子って飯田美都子ちゃん?こっちに越してきてるの?」
 乃里子も少し驚いた顔で
 「そうだよ、あ、和樹にも教えてないんだね。そうかあ、会わす顔ないもんなあ。」
と意味深なことを言いましたが、和樹はそこに気付かずに五日前のことを思い出したのでした。
 「何日か前来たんだよ、僕の学校にね。」
 乃里子は目を見開いて顔を突き出すように
 「えっ、美都子、会いに来たの?」
と言いました。和樹は首を横に振り
 「いや、美都子ちゃんじゃなくて、美都子ちゃんのクラスメイトみたいな人たちがね。四つ葉学園の人たちだったよ。」
と言いました。乃里子は
 「うん、福岡の四つ葉学園に編入して家族ぐるみで引っ越したんだよ。」
と答えました。横から直美が口を挟みました。直美も乃里子と話したくて仕方がないのでした。
 「その美都子って人もお兄ちゃんの友達なの?」
乃里子はいつになく優しい調子で答えました。
 「そうだよ、和樹君とあたしと美都子はね仲良し三人組なんだよ。」
 直美は乃里子と一言口を利いたので満足した顔になりました。仲良し三人組と言われて赤くなりつつ、和樹は乃里子に訊きました。
 「美都子ちゃんはお父さんの転勤か何かでこっちに来たの?」
 すると乃里子は急に困った顔になり
 「いや、それは、ちょっと複雑な事情があるんだよ。」
と言いました。和樹はまたも驚いて口をとがらすように言いました。
 「複雑な事情?」
 乃里子はうつむいて呟くように
 「とても言えないよ。そんなこと」
と言って、なにやら赤くなってしまいました。和樹は何か事件でもあったのだろうか、と思いました。
 「直美、乃里子ちゃんを直美の部屋に泊めてやってね。」
 和樹は乃里子が言いたくなさそうなので話を変えたのでした。
 「うん、いいよ、乃里子お姉ちゃん、こちらへどうぞ」
と直美が言って、乃里子は心の中で
 (こういう風に聞かれたくないことがあると、さらりと話題を変えてくれたりして、そこが和樹のいいところだよ)
と思いました。女同士の絆が心配になって和樹は
 「直美、兄ちゃんのことで余計なことしゃべるなよ」
と直美に釘を刺しました。案の定、直美は
 「それは約束できないなあ」
と笑いながら横を向いて言い放ちました。和樹は少しムキになりかけて
 「あ、こいつ、裏切る気だな」
と言いました。和樹と直美のやりとりを観ていた乃里子が
 「直美ちゃん、色々教えてね」
と言ったので、和樹はすっかりすねてしまいました。
 「もう、乃里子ちゃんまで」
 和樹はその夜、妹が乃里子に何をしゃべるか心配しながら眠りました。


 翌日の朝、朝日が差し込んでいるダイニングキッチンで食事をとっているときに、乃里子は重大なことを打ち明けるように四つ葉学園に行くと言い出しました。
 「実はね、美都子、わけありでいきなり転校したから、俺も引っ越し先聞いてないんだ。四つ葉学園まで連れてってよ」
 和樹は少し考えてから
 「お母さんに場所訊いてみるね。」
と言い、乃里子は
 「うん、お願い。」
と手を合わせて頼みました。和樹の母はもう食事は済ませて洗濯をしていました。ぱんぱんといきおいよく洗濯物を叩いている母親を和樹は大声で呼びました。
 「お母さん、ねえ、ちょっと来て。ねえ、ちょっと来てってばー。」
 その辺が和樹のまだ子供な所でした。用事のある方から行くべきなのに大声で呼びつけたのです。和樹の母は
 「何よ、今、忙しいのよ。用があるなら、用のある方から来なさいよ。呼びつけたりせずにね。」
と文句たらたらでした。和樹は
 「ねえ、お母さん、四つ葉学園の場所知ってる?」
と早速、切り出しました。
 「四つ葉学園に何のようなのよ」
と和樹の母は不審げでした。乃里子が
 「あたしの友達の美都子って人がそこに通ってるんです。美都子は和樹君とも友達なんです。ただ、引っ越し先を聞いてないので、学校に行けばわかるかと思って。」
 和樹は呟きました。
 「俺って言わずに『あたし』って言ってるよ。」
 その言葉は乃里子には無視されてしまいました。和樹の母が
 「そうねえ、大体の場所はわかるわよ。」
と言って場所を教えてくれました。直美が
 「美都子って人もうちに来るの?」
と乃里子に尋ねました。乃里子は少し考えてから
 「そうだね、連れてくるかもな。」
と答えました。和樹は朝食のみそ汁を一気に飲み干して
 「乃里子ちゃん、早く行こうよ」
とせかしました。乃里子は
 「待ってよ、俺、まだ、食事中。」
と答えて、残りのご飯をあわててほうばりました。

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