ときめき芽生える頃(二)


 和樹は母親の教えたとおりに乃里子を連れていきました。家からバス停までは五分くらいの道のりです。歩きながら乃里子は
 「和樹さあ、パワプロ弱いねー。」
と大声で言いました。和樹は
 「実際の野球なら、僕の方が、絶対強い。」
と筋違いの言い訳をしました。乃里子は笑いながら
 「バーチャストライカーも弱かったねー。」
と弱みを突かれて困っている和樹に追い打ちをかけました。
 「だから、実際のサッカーなら僕の方が強いってば。」
と和樹はムキになりました。
 「でもゲームは弱いんだよねー。」
 和樹は黙り込んでしまいました。
 「あっ、ごめんな、ちょっとからかってみただけだから、あんまり気にするなよ。きのうのはたまたまだよ、多分ね。」
と乃里子がなぐさめ始めた時にバスがバス停に到着しました。白い車体にピンクの線が入った西鉄バスの博多駅行きでした。
 「このバスでいいんだよ。さ、乗ろう」
 二人はバスに乗り込み、話は音楽の話になりました。
 「浜崎あゆみと椎名林檎と宇多田ヒカルでは誰が好き?」
と乃里子に聞かれて和樹は考え込んで
 「顔は椎名林檎、声は浜崎あゆみ、性格は宇多田ヒカル、かな?」
と答えました。乃里子は笑いながら
 「そんなのずるい、おいしいとこ全部どりだよー」
と言い、和樹は聞き返しました。
 「じゃあ、乃里子ちゃんは誰が好きなの?」
 すると乃里子は真面目な顔になって
 「だめだよ、これは女子が男子にする、女の好みチェックなんだから。」
と答えて、和樹は急に難しい顔になって
 「誰が考えたの、そんなの」
と聞きました。
 「俺のクラスの新井由美がね、考えたんだよ。」
 和樹は上目づかいに乃里子を見て
 「じゃあ、今のは、女子として、男子の僕をチェックしたの?」
と尋ねました。乃里子は飛び退くように少し下がって
 「そ、そ、それは・・・。」
と黙り込みました。二人とも真っ赤になって、そこで会話はとぎれてしまいました。とても気まずい沈黙でした。
 「あ、ここ、ここ。」
と言って和樹はチャイムを押しました。桃乃坂のバス停で二人はバスを降りました。降りるときに乃里子は大声で
 「運転手さん、ありがとうございました。」
と言いました。和樹はキョトンとしていました。



 バスを降りてしばらくしてから和樹は
 「いつもバスを降りるときにあんな風に大声で言ってるの?」
と尋ねました。乃里子は意外そうに
 「そういえば、和樹は何も言わなかったね。うちの小学校では、バスを降りるときには必ずお礼を言うように教えられてるんだよ。」
と言い、今度は和樹が意外そうに
 「へえー、教育方針ってやつなんだね。」
と言う番でした。
 「教育方針とかじゃなくても働いてる人にお礼を言う心は大事だと思うな。俺達子供は大人の働いてるお陰で勉強と遊びに専念できるんだからな。」
と乃里子が言うと、和樹は笑いながら
 「遊びにだけ専念してないかい?」
と訊きました。乃里子は
 「あー、痛いトコ、突かれたあー。」
と大声を出しました。和樹は心の中で
 (乃里子ちゃんがこんな風に男っぽく大声を出したりするのも、子供のうちだけなんだろうな。どんな大人の女の人になるんだろう)
と思いました。乃里子は
 「何だよ、じいっと見て。気持ちわりいな。」
と言いながら、心の中で
 (和樹は昔から俺を女扱いするからやりにくいんだよな。もしかして本当に心から俺を女と思ってるのかな)
と思いました。乃里子が
 「そんなに見るなよ。照れるだろ。」
と言うと、和樹が
 「自分こそ、じいっと見てるじゃない。なんか変な空気が流れてるんだよ。この辺りは、きっと。」
と誤魔化し、乃里子もそれに乗って
 「本当だよ、絶対、この辺は妙な邪気があるよ。間違いない。」
と話を合わせました。お互いに異性であることを意識し始めていることを、二人ともまだ認めきれないのでした。


 四つ葉学園小等部の大きな黒塗りの鋼鉄の門扉の右側に灰色の制服を着た初老の銀縁の眼鏡をかけた守衛さんがいました。乃里子と和樹が近づいていくと守衛さんはその小さな建物の窓を開けて穏やかな笑顔で話しかけてきました。
 「君達はここの児童さんじゃないけど、なんの用事ですか?」
 乃里子は
 「今年の4月からこの学校に編入した六年生の飯田美都子と去年同じ小学校の同じクラスだったので長崎県の松浦市から会いに来ました。」
と言いました。守衛さんは怪訝な顔をして
 「直接本人からは引っ越し先を聞いてないんですね。」
と言い、乃里子は
 「突然急に引っ越したので、慌ただしくて教わる暇がなかったんです。」
と答えました。
 「それでは、六年の担任の先生に聞いてみますから、しばらくここで待っていて下さいね。」
と守衛さんに言われて二人はしばらく待ちました。


 しばらくして校舎から赤い縁の眼鏡をかけた女の先生が出てきました。面長な顔の上品そうな20代後半くらいの女性で薄い緑色のワンピースを着ていました。先生は可愛い声で
 「あなた達が、星鹿小から来た子?あなた、まさか松木君じゃないでしょうね?」
と和樹に言いました。乃里子はあわてて
 「違います。この人は福岡の友達で村山君です。ここまで案内してくれたんです。松木なんかじゃありません。」
と一生懸命に否定しました。先生は落ち着いて答えました。
 「そう、ならいいけど。あなたは色々と事情も知ってるみたいね。」
 乃里子は言いました。
 「飯田さんとは星鹿小では一番仲良しでした。でも、いきなり事情があって転校して住所も電話番号も聞いてなかったんです。」
 事情をわかってもらおうと必死に説明する乃里子でした。先生は
 「今は夏休みだから、ここにはいないわよ。住所を聞きに来たのかしら?」
と冷淡に言いました。乃里子は拝むような気持ちで
 「電話番号でもいいです。」
と言い、先生は
 「なんだか、あなたは必死な感じなのね。そんなに飯田さんと連絡とりたいの?」
と質問しました。乃里子は
 「だって、一番仲良しだったのに、いきなりいなくなったんですよ。」
と涙ぐみました。
 「そうね、まあいいでしょう。それにしても、あなた、男の子みたいな格好してるのね。守衛さんは男子が二人来たって言ってたわよ。」
と先生が言うと、乃里子は激しく頭を振って
 「あたし、ちゃんと女です。」
と否定して、先生はうんうんと頷き
 「わかるわよ、あたしはね。プロだもの。メモしてくるからちょっと待っててね。」
と先生は言うと学校の玄関から職員室の方へと行きました。和樹も乃里子も玄関で待たされました。

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