ときめき芽生える頃(四)


 和樹と乃里子は和樹の家に上がりました。和樹は台所から白い色の電話の子機を取ってきて、和樹の部屋の和樹のベッドに座っている乃里子に渡しました。和樹の部屋は緑色のカーペットが敷かれた洋間の六畳でした。水色のベッドカバーに座った乃里子はポケットから四つ葉の先生からもらったメモを取り出して左手に持ち右手の子機をしばらく、じっと見つめました。和樹が乃里子に尋ねました。
 「どうしたの?電話しにくいかな?久しぶりだもんね、やっぱし。」
 乃里子は和樹を見て苦笑して答えました。
 「いざとなると、やっぱり緊張するね。だって番号、本人に教わってないのに勝手にかけるんだからね。もし美都子が嫌がったらどうしよう?」
 和樹は優しく笑って
 「そんなことないよ、きっと。星鹿では一番の仲良しだったじゃない。」
と乃里子を励ましました。乃里子はうんと一回大きく頷くと、美都子の番号を押しました。
 「もしもし、飯田さんのお宅でしょうか?」
 和樹は息をのんで乃里子の様子をうかがっています。
 「・・・・はい、あたし、阿部です、おばさん、星鹿の阿部乃里子です。お久しぶりです。」
 乃里子は和樹に向かって指でオーケー・サインを出しました。和樹は大きくふうっと息をはきました。
 「・・・・・はい、今、村山君の家からです。・・・・・・はい。」
 乃里子は和樹に小声で
 「今、美都子に代わってるトコ」
と言いました。和樹は目を見開いて頷きました。
 「・・・・・あっ、美都子!久しぶり。乃里子よ。美都子がいなくて寂しかったんだから。・・・・・うん、あのね、和樹と四つ葉学園に行って先生に電話番号聞いたの。・・・・・ごめんね、勝手に押し掛けて。・・・・・あいつ?あいつって松木?あいつは関係ないよ。あたしと和樹だけだよ。・・・・・うん、わかった。和樹」
 「えっ」
 黙って聞き入っていた和樹は急に呼びかけられてドキッとしました。乃里子は立ち上がって何も書かれていないスケジュール記入用のホワイトボードを指さし
 「このホワイトボードに書いてもいいよね。」
と聞いただけでした。
 「うん、いいよ」
と和樹は返事をしました。
 「いいよ、美都子。・・・・・早良区陽乃町・・・・・」
と乃里子は言いながら美都子の住所をホワイトボードに書き始めました。和樹は驚いて
 「へえー、意外と近くだね。」
と呟きました。
 「美都子、ここ八隈なんだよ陽乃町は近くだって和樹が言ってる・・・・・えっ、知ってるって?」
乃里子は驚いた顔をして和樹を見ました。和樹も驚いていました。
 「美都子、和樹の住所、知ってたんだね。・・・・・そっか。うん、うん。」
 乃里子は受話器を口元から離し和樹に言いました。
 「美都子がね連絡しなくてごめんなさい、って言ってる。」
 和樹は首を軽く横に振って
 「そんな過去のことはもういいから、三人で会おうって言って。」
と提案しました。
 「うん、美都子、和樹が三人で会おうって言ってる・・・・・和樹、どこで会うの?」
と乃里子は楽しそうに聞きました。和樹も楽しくなってきて笑いながら
 「西新」
と答えました。乃里子はそのまま
 「西新だって」
と会話を中継しました。
 「・・・・・うん、そうだね。和樹、西新のどこ?」
と乃里子が聞くと和樹は少し考えて
 「福岡タワーの前」
と答えました。
 「福岡タワーの前だって・・・・・うん、和樹、時間は?」
と尋ねる乃里子に和樹は即座に
 「どっちもいますぐ出発」
と答えました。乃里子は和樹の肩を軽くこづいて
 「馬鹿だなあ、和樹は。女の子には男子と違って準備の時間が必要なの!」
と叱るように言いました。和樹はまた即座に
 「じゃあ、明日の昼の一時」
と提案しました。実は和樹はあまり深く考えずに思いつきで言っていたのです。乃里子に福岡の名物の福岡タワーと福岡ドームを見せたかったのです。
 「明日の昼の一時だって、・・・・・うん、うん、じゃあ、明日ね。・・・・・えっ?和樹とあたしが?馬鹿だなあ、和樹はまだ子供だよ、大丈夫。・・・・・うん、かもね、でも和樹はそういうとこ真面目だから大丈夫。・・・・・うん、じゃあ、明日ね。」
 乃里子はそっと電話の子機のスイッチを切りました。そして胸に右手を当てて大きくふうっと息をしました。
 「何だって?どうしたの?」
と和樹は不審がりました。乃里子と美都子の会話の最後の部分が気になったのでした。乃里子はどうでもいいことのように
 「何でもないよ。和樹とあたしがくっつかないか、心配してるんだよ」
と投げやりな調子で言いました。和樹は驚いて
 「えっ、くっつくって?」
と質問しました。なんとなくわかってはいたのですが、まさかそんな、と言う思いがあったのです。美都子が自分のことで、そんな風に言うとは信じがたかったのです。
 「和樹は頭はいいけど、そういうとこが子供なんだよなあ、鈍いんだよ。忘れ物のチャンピオンなわけだよね。」
と乃里子は言いました。忘れ物の話を持ち出したのは話をそらすための作戦だったのです。
 「鈍いかなあ、クラスの女子にもよく言われるんだ。あっ、あれ、直美が喋ったね。忘れ物のこと。」
と和樹はすっかり乃里子の作戦にはまったようでした。
 「いけない、ばれちゃった。それより、ね、パワプロやろ!手加減してあげるからさ」
と乃里子は「話しそらし作戦」の第二段を出してきました。
 「手加減?きのうのはたまたま調子悪かったんだよ。今日は負けないからね。」
と和樹はすっかり作戦にはめられてしまいました。乃里子は呟きました。
 「ふうっ、やっぱり、まだ子供だよ」
和樹にはそれは聞こえませんでした。
 「えっ、なんて言ったの?」
と質問する和樹をゲームマシンのある座敷へ押しやりながら
 「いいから早く座敷に行って対戦しようよ」
と乃里子は言いました。乃里子は心の中で
 (そんな鈍感なところも長所に思えるから不思議なんだよ)
と思いました。
 大体、和樹達の年頃では男の子よりも女の子の方が少しばかり大人びているものなのです。乃里子にすっかり手玉に取られていることなんてまったく気付かない鈍感な和樹なのでした。そして乃里子と美都子の思いが和樹のことで衝突しそうな気配なんて気付くはずもない子供な和樹なのでした。


 翌日の朝になりました。朝食は朝七時に大工のお弟子さん達と一緒にとります。お弟子さんの光男さんが笑いながら言いました。
 「乃里子ちゃんは和樹の彼女なのかい?」
 それは、ちょっとからかっているのです。和樹が慌てて言いました。口にはご飯を頬張ったままです。
 「もうっ、兄ちゃん、変なこと言わないでよ。乃里子ちゃんは友達なんだってば」
 和樹がムキになるのでお弟子さん達はますます面白がりました。
 「友達から恋人に変わる恋もあるぞ」
 そう言ったのはもう一人の弟子の満さんでした。和樹の父が言いました。
 「まあ、微妙な年頃だからね。急いで恋人になる必要はないからね。」
 乃里子は黙って頷きました。顔は真っ赤になっていました。和樹も同じでした。和樹も乃里子も「恋人」という言葉が気になって仕方がありませんでした。


 和樹と乃里子はバス停まで無言で歩きました。お互いに変に意識してしまっていました。それはお弟子さんにからかわれたせいだけではなさそうでした。普段から心の中にあったことを見透かされたからなのです。天気は晴天に恵まれていました。茶色い銀行のビルの前のバス停は大人の女性と男性が一人ずついました。二人とも黙ってただぼうっとバスを待っているようでした。昼間の日差しは結構かんかんと照らしつけていて、とても暑く感じられました。アスファルトからの反射も半端ではありませんでした。
 乃里子は何か喋らなくちゃと思い
 「きのうのヘイヘイヘイね、安室ちゃん可愛かったね。」
と切り出しました。和樹は重苦しい雰囲気からのがれられると思い、その話題にとびつきました。
 「うんうん、なんか子供を産んでからますます可愛くなった気がするね。」
 乃里子は一安心して話を続けました。
 「ちっちゃい子がいるお母さんって、みんな優しそうな雰囲気になるよね。」
 和樹は頷きながら
 「そうだねえ、だから安室ちゃんは・・・・・あ、バスが来た。」
と話を途中でやめてしまいました。
 (せっかく話が乗りかけたのに)
と乃里子は思いました。乃里子は少し口をとがらせました。
 バスに乗ってから二人は青いシートに腰掛け、和樹は不思議そうに
 「乃里子ちゃん、どうしてさっきから不機嫌そうな顔しているの?急に不機嫌そうになったよね。さっきまで楽しそうだったのに」
と言いました。バスの中は平日の昼間だからか結構空いていました。乃里子はますます頬を膨らまして
 「もう、鈍感」
とだけ言いました。和樹は
 「あれ、また、鈍感って言われちゃった。学校でもね女子からよく言われるんだよ。でも、どうして鈍感って言われるのかわからないんだよ。なんで鈍感って思ったの?」
と質問しました。乃里子は機嫌が悪いままで
 「そんなこと聞くのがすでに鈍感なんだよ。」
と答えました。和樹はどう言ったらいいかわからなくなり、ただ
 「ええー」
とだけ言いました。乃里子は
 「本当に女心わからない奴だよ、和樹は」
と文句たらたらでした。
 「乃里子ちゃんの女心?乃里子ちゃんが自分のことで女心なんて言うなんて意外だなあ。」
と不思議そうな顔して首を左に傾げて言いました。和樹は、はっとして降車チャイムを押しました。
 「ピンポーン」「はい、停車」
と運転手さんが言って、和樹は
 「この六本松で乗り換えて西新に行くんだよ。」
と言いました。すぐにバスは停車して、バスを降りながら乃里子は
 「俺にだって女心はあるんだよ」
と顔を赤くして言いました。和樹は六本松の別のバス停に歩きながら
 「乃里子ちゃんにも女心あるの?じゃ好きな男子とかいるの?」と尋ねました。乃里子は
 「お前が聞くな!」
と怒ってしまいました。そして心の中で
 (そういうウブなトコ好きだけど、時々頭に来るよ。どうして自分のことだって気付かないんだよ。)
と思っていました。

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